2015年10月30日金曜日

〈神の摂理〉と「帝国の逆襲」

イングランドに共和制がもたらされた、ピューリタン革命の約 10 年後、
王政復古により、処刑された王の息子であるチャールズ 2 世が、英国の国王として迎えられます。

そして、王政復古では、まさに「帝国の逆襲」が、遂行されました。

「帝国の逆襲」というのは、あの『スターウォーズ』の第 5 部のタイトルですが、
いやはや、時を経て、40 年間かけて完成させるという触れ込みの超大作の、
最後の三部作が、ついに、公開されようとしてます。

そういうわけで、冬には雪が降り積もり、雪景色も幻想的な、鳥取砂漠の、
「砂の美術館」には、砂漠を横断中に電池切れとなったか、あのロボットが、
砂の像となって、展示されています。

「鳥取砂丘 砂の美術館」(「スターウォーズ」公式砂像の情報 ↓ )
http://www.sand-museum.jp/

砂像として世界で初めてルーカス・フィルムが公認

ウォルト・ディズニーがデザイン監修!
「鳥取砂丘に“スター・ウォーズ砂像”10月8日登場! | 鳥取砂丘 砂の美術館」
http://www.sand-museum.jp/?p=18005

もしくは
「鳥取市公式ウェブサイト:鳥取砂丘に“スター・ウォーズ砂像”登場!」
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1441858623309/index.html


閑話休題(それはさておき)――


イギリス内戦である、ピューリタン革命の過程で、
国王を断頭台に送るための正当な論理として、革命軍は〈神の摂理〉に頼ることになりました。
なぜなら、神は「力の神」であり、勝ったものが神の側にあり、大義はそこにあるからです。
すなわち、「勝利が正義の証[あかし]」なのでした。

――それ以外に、正当な理由が、見つからなかったようです。

あきれたホッブズは、かの『リヴァイアサン』をぶちあげます。
革命軍で、ラテン語通訳をしていた、ミルトンは、その後、
失明してなお、『失楽園』と『復楽園』を完成させ、そして死にます。

一方、ことわりもなく勝手に国王を処刑されたスコットランドは、無論怒って、
殺された王の息子であるチャールズをただちに即位させ、

神の摂理による、疑う余地のない王位継承と血統の合法的な権利による、ブリテン、フランス、アイルランド」からなる複合王国の「正統な相続者であり、合法的な継承者」と宣言した。
『ピューリタン革命と複合国家』 59 ページ


という次第なので、〈神の摂理〉も、すでに「言ったモン勝ち」の様相を、呈しはじめ、
いやはや、凄い戦いになってきました。
というか、「宗教戦争」は、いつの世も、同じありさまでして……。

そういえば。

王政復古で行われた「帝国の逆襲」というのは、
国王処刑の首謀者どもの死体を墓から引きずり出して、刑場に送り、
晒[さら]し台に晒したうえで、八つ裂きにして、それからなお、
さらし首にするという、念の入れようだったと、伝えられております。


〈神の摂理〉と清教徒革命
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/puritan.html

2015年10月28日水曜日

神に責任転嫁しきれなくなって責任をサタンに押しつけようとする話

  だから、いずれにせよ「わしは悪くない」のである。


宗教改革から革命へ



 聖職者たちの想像力豊かな悪魔的発想力によって、ヨーロッパの大陸で魔女狩りの嵐が吹きすさぶ中、海峡の向こう、イングランドでは、宗教改革に、独自の路線を確立しようとしていました。
 そもそも同じ島国(ブリテン諸島)でも、スコットランドでは、魔女狩りの裁判に拷問が取り入れられていたのですが、国境を接するイングランドでは、魔女裁判といえども、積極的に拷問が行われた形跡はありませぬ。

――ところで。

1534 年は織田信長の生まれた年でありまして、その九年後、日本に鉄砲が伝来いたします。
1543 年、種子島に漂着したポルトガル人によって、火縄銃という新兵器がもたらされたのですね。
 《火器だけに画期的新兵器というわけで……》
……やがて。宣教師とともに、キリスト教も伝来しまして、切支丹大名が誕生するという勢いであります。


同じころ。欧州では――。(西欧で宗教といえば、キリスト教のことなのですが)
1534 年、総本山であるローマ・カトリックから、イングランドは、宗教的独立を果たします。

その後、「血のメアリ」の世に迫害されたプロテスタントの一部が、イングランドから大陸に逃れ、
そこで、さらなる「カルヴィニズム(カルヴァン主義)」を叩き込まれて、
エリザベス 1 世の時代に、強化型プロテスタントとして、故国に戻ってくるのですが、
それが 〈ピューリタン〉 誕生のいきさつだと、いわれています。
徹底的な神の正義という〈摂理〉のもとに革命を遂行する清教徒たちの祖が、ここに登場するのですね。

そういう、熱心なプロテスタントたちの信仰も手伝って、
女王エリザベスの時代には、イングランドにも、「魔女狩り旋風」が吹き荒れます。

そして――。

 17 世紀初頭、時は到り、「魔女狩り王」として名高いスコットランドの国王ジェームズ 6 世が、エリザベス 1 世の死後、イングランド国王ジェームズ 1 世として即位し、その統治 1 年目には、「魔女狩り法案」が強化されるに至るのでありまする。
……が。こはいかに。

魔女狩りの炎が燃え広がったエリザベスの時代とは逆に、なぜか魔女裁判は鎮静化へと向かうのです。
ジェームス 1 世は、自ら拷問を行った話でも有名ですが、
「魔女を捏造する裁判」を憎んでもいました。それは、彼の求める正義ではなかったからです。

彼の死後。――
次回はやっと、革命的 〈神の摂理〉 に手が届く。と、思いつつ……


Witchcraft Act 1604
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2015年10月23日金曜日

「魔女狩り」という名の 魔女狩り

いちど、魔女の嫌疑を受けたら、溺死か、火刑か。それとも恩赦による絞首刑か。
――と、いう時代があった。

西欧の〈魔女狩り〉の話だ。
最悪は、それを覚悟しなければならない、ご時世なのだ。
過激に過ぎる〈魔女狩り〉は、新大陸アメリカにまで飛び火している。

そういう話を読めば、その、
あまりの非道さに、誰かを糾弾したくなる。
誰かを悪者にしなければ、これはもう、おさまらぬ。
現代の魔女狩りは、そういう正義の「魔女狩り」の時代だ。
そうなのかもしれない。

それは、ようするに、自然に対する人間の無力さに繰り返される、歴史か。


誰が、本当の《魔女》なのか。何が本当の《差別》や《偏見》なのか。
糾弾する側は、いつも正義だ。

ヨーロッパを飢饉が襲った、17 世紀――。
当時、イギリスのピューリタン革命でも、〈神の摂理〉が振りかざされた。
それは、「勝てば官軍」の正義だ。

だから、パスカルはいった。

「人は正義にしたがうことを力であるとすることができなかったので、力にしたがうことを正しいとしたのである。正義を強くすることができずに、力を正しいとしたのである。」 『パンセ 299


ジェームズ 1 世の『悪魔論』 と 魔女狩り法案 と 内戦 と
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2015年10月21日水曜日

女王陛下の魔術師

1603 年に即位した、英国王ジェームズ 1 世と魔女狩りの関係についての資料を調べていて、
彼が自称した “king of Great Britain” あるいは “the empire of Great Britain” は、

その前の世紀(16 世紀)、女王エリザベス 1 世の時代に、
彼女の戴冠式の日取りをも定めた、魔術師ディーによって、

〈ブリテン帝国〉 “British Empire” として構想されていた という、
そういう展開となりおりはべり……いまそがり。


ちなみに、
「魔術」の英語 magic は、『聖書』に記述のある「東方の三博士」の名称、
the (three) Magi を、その語源とします。

イエスの復活を目撃した
「マグダラのマリア (the Magdalen : Mary Magdalene)」も、
語頭に「マギ (mag-)」を含みます。
興味を持たれましたなら、『聖書』の
「マタイ伝福音書」第 2 章、「マルコ伝福音書」第 16 章をご覧くださいませ。
――もうひとつ、ちなみに。maggie は、Margaret の愛称となります。


そういうわけで「マギ」というのは、かの「エヴァ」のトリプル合議制スーパーコンピュータのシステム名ですが、すなわち、それは、この三賢者を模したものなのですね。

Magi は、三博士の総称(複数形)でして、ひとりを指す場合には、Magus となります。

で。――「魔導士・魔術師・占星術師」の単数英語は、Magus なのです。

それは、日本的には、宮廷で活躍した天文博士である「陰陽師」と、なりましょうか。
そういえば、日本の陰陽師も、江戸時代(17 世紀以降)には、暦の作成に、名が出る程度でして。


エリザベス 1 世 と 女王陛下の魔術師
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Dee.html

2015年10月14日水曜日

パスカル「力のない正義は無力であり、反対される」

少林寺拳法の開祖も、極真空手の創始者も、同様な教えを語る。

「力のない正義は無力であり、愛のない力は暴力である」

かくの如くである。

これは、今回の表題に掲げた、パスカルの言葉を、容易に連想させる。

そういうわけで、かどうか、最強の「神」が最も正しい、ということになる。
では「神」なき時代の正義はどこにあるのか。

――だから、なのか。「強いアメリカ」がアメリカによって常に語られる


西欧の革命の時代の、文献に当たっていて、
フランシス・ベーコンの「知」と「力」についての、誤解めいた慣用句について、
詳しく調べていくと、やはり、歪曲という常套手段を免れようもないことが知れる。

ひとは都合のいい話ばかりを聞きたがる、と、
パスカルもまた、都合よく、聖句を変えて、引用していたりする。
未発表原稿なのだし(遺稿)、たぶん、ちょっとした、勘違いなのだろう。
と、都合よく、解釈しておく――。

で、それに絡めて、

パスカルの「知」と「力」についての言葉も、ピックアップしてみた。

そんなこんなで、また、
「無知」を力とした、ファインマンさんの語り口をも、思い出す。
われわれは、まだ何も知らないのだ。だから――。

「知らないことから、はじめよう」

――とりとめもない、疲れるだけの、話だ。

だから。ここで、一度、

無知は力なり、と、開き直ってみる。


ベーコン 及び パスカル の 「知と力」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Pascal.html

2015年10月8日木曜日

ファブラボとっとり 見学記

というわけで、今日は「ファブラボとっとり」というところに、
見学に行き、そこでお話を伺ってきました。

ファブラボとっとり
http://www.fablab-tottori.jp/

鳥取大学が運営する「ものづくり協力会議」の主導のもと、
鳥取県と鳥取市が協力して、「鳥取市文化センター」に開設されたものです。
(開設日: 2014 年 5 月 17 日)

現在の入会対象年齢は、小学校5年生以上となっていますが、
開設当初の半年間は「年齢制限ナシ」だったということで、

2015 年 10 月 8 日現在の会員数 210 名の年齢幅は、

7 ~ 72 才となっているそうです。

今年、鳥取県中部と西部にも、拠点が増え、ますますの発展が望めそうな勢いを感じますが、
地元の、若い世代の力が、もっともっと必要だとのことです。

簡単なレポートですが、ホームページで情報収集し、実際に、足を運んで、
自分の目で、実地の(リアルな)、活動内容は、ご確認ください。

パソコン用の、高価な、「リアル物作り」の設備が、整っている場所です。

FabLab(ファブラボ)とは世界のものづくりネットワークです。

と、ホームページにも、そう書いてありまする。

2015年10月1日木曜日

三木清の『省察』

 三木清著『人生論ノート』(新潮文庫)という一冊の薄い文庫本がいつからか本棚にある。
 どういうわけで、そこに並んでいるのか、買った覚えがない。また読んだ覚えもない。
 しかしながら、今回、デカルトの邦訳に三木清がかかわっていることを知って、手に取ってみた。
 昭和 29 年に発行されたものが、昭和 42 年の改版を経て、昭和 51 年に 53 刷とある。カバーにある定価は、160 円である。
 三木清の記した「後記」には、「昭和十六(一九四一)年六月二日」とある。
 徴兵され、戦禍をくぐり抜ける以前の、記録である。
 敗戦後まもなく獄死。と、辞書(『広辞苑』)にあるので、死後に新潮文庫に収録されたものと思われる。
 その三木清の遺作のひとつが、デカルト『省察』の、邦訳である。
 創元社版『デカルト選集』が、それでやっと完結した。
 そのいきさつは、死んだ三木清にはもう書けぬが、「解説」と「後記」に詳しい。
 岩波文庫の一冊として、その後刊行された。


三木清・訳/デカルト『省察』 のこと
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/MikiKiyoshi.html