2019年6月11日火曜日

ファルネーゼのアトラス像

◈ 前回、先月の終わりに引用した文献には、次のように述べられていました。

『古墳の方位と太陽』

「第 3 章 弥生・古墳時代への導入」

 3.1 「北辰」に星なし

 真北の方位を見定めるとき、通常の感覚では夜空に輝く「北極星」の位置を見れば決まると考えるはずである。たしかに現在の北極星(小熊座の α 星)は天の北極に最も近い星であり、赤緯 89 度 15 分に位置している。しかし過去を問題にするとき、このような認識は実態とかけはなれてしまう。夜の星空もまた歳差現象のもと 26,000 年周期をもって変動中であり、地上から北の空をみつめても、不動の「北極星」など存在しなかったからである。
 とはいえ天文学界では常識であっても、それが人文科学に定着するには時間がかかり、歴史学にも深刻な影響があることへの認識が広まるきっかけとなったのは、おそらく福島久雄(物理学・北海道大学)の著作ではないかと思われる。『孔子の見た星空』との表題どおり、福島は古代中国における星空の時代別変遷を再現し、孔子のいう北辰とは特定の星を指したものではなく、ましてや現在の「北極星」ではありえないことを具体的に論証した(福島 1997〔福島久雄 1997『孔子の見た星空 ― 古典詩文の星を読む ―』大修館書店〕)。
〔北條芳隆/著『古墳の方位と太陽』(pp. 75-76)


◉ 時代は紀元前 2 世紀のことです。紀元前 125 年頃まで生きていたとされる、ギリシャの天文学者ヒッパルコスは歳差現象の発見者として名を残しました。
 いっぽう、中国では東晋の虞喜(ぐき)が、紀元後の 4 世紀にあたる西暦 330 年代に歳差現象を独自に発見したといわれており、こちらは中国古典の記録によるはずなのですけれど、どういう事情が介在したのか、これらの情報が日本の文学者に伝達されたのは、20 世紀も終ろうとする 1997 年に発行された福島久雄著『孔子の見た星空 ― 古典詩文の星を読む ―』によってだった、ということらしいのです。


 ◯ 虞喜に関しての情報は、中村士著『古代の星空を読み解く ― キトラ古墳天文図とアジアの星図 ―』の 47 ページにある脚注に簡潔にまとめられています。

『古代の星空を読み解く』

 中国では東晋の虞喜[ぐき]が、西暦 330 年代に「歳差」を初めて発見したとされる。虞喜の場合、おなじ時節、たとえば夏至の日の日暮れに南中する星が古代の記録に比べてずれていることに気づき、黄道上の冬至点や春分点が西にゆっくり移動する、つまり歳差現象を発見した。虞喜は歳差による黄経の変化率を 50 年に 1 度(中国度)としたが、この値は真の値よりは少し大きすぎた(杜石然ほか編著、川原秀城ほか訳、『中国科学技術史(上)』、第 5 章、1997)。
〔中村士/著『古代の星空を読み解く』(p. 47)


アリストテレスとヒッパルコス


 ◯ また、『古代の星空を読み解く』の第Ⅱ部 「第 5 章 『アルマゲスト』の解析とトレミー疑惑」には、エラトステネスとヒッパルコスの業績が紹介されています。――〝トレミー (Claudius Ptolemaeus, または Ptolemy, 西暦 90 頃‐168 頃?)〟というのは、「プトレマイオス朝(紀元前 304‐紀元前 30 年)」との混同を避けるために著者の中村士氏が採用した表記で、人物としての〝プトレマイオス〟のことと 118 ページの脚注で説明されています。

『古代の星空を読み解く』

5.1 古代ギリシアの初期の天文学と宇宙観

アレキサンドリア

 ギリシア人が球形と考えた地球の大きさを、科学的に初めて測定したのは地理学者で天文学者だったエラトステネス (Eratosthenes of Cyrene, 紀元前 276‐紀元前 195 頃) である。彼はムセイオンの館長だったため、その所蔵パピルス文書によって、アレキサンドリアの南方、アスワン地方のシエネでは、夏至の正午に深い井戸の底を太陽が照らすこと、つまり、太陽が真上にくることを知った。エラトステネスは、この事実とアレキサンドリアにおける太陽高度の観測とを組み合わせ、両地点が地球の中心で張る角度は地球全周 360 度の 50 分の 1 と求めた。そして、アレキサンドリアとシエネの距離と組み合わせ、地球の全周長を約 3 万 9,000 km と算定した。この数値は真の値 4 万 km からわずか 3% しか違っていなかった。


5.2 ヒッパルコスとトレミー

ヒッパルコスの天文学的業績

 ヒッパルコス (Hipparchus, 紀元前 190‐紀元前 125 頃) は古代ギリシアの最大の天文学者と称えられる。彼は思弁的な天文学者とは異なり、アレキサンドリア市の所領だったロードス島で 40 年間も精密な天体観測を行ない、それを基礎にして数多くの目覚ましい天文学的業績をあげた。ただし、それらの成果は、後にトレミーがその著書『アルマゲスト』の中で言及しているだけで、ヒッパルコス自身が書いた著作はほとんど残されていない。唯一知られているものは、『アラトスとユードクソスの天文現象についての註釈』と題した著作だけである。
〔中村士/著『古代の星空を読み解く』(pp. 113-114, p. 115)


 ◯ ヒッパルコス以前にも、古代ギリシャのアリストテレス(前384~前322)は、天が球体であることは必然であり、地もまた球体であると著書のなかで論じています。

『アリストテレス全集 5』

「天界について」

第 2 巻 第 14 章

 だがまた感覚のもとに捉えられる現象によっても〔大地が球形であることは知られる〕。すなわち〔もし大地が球形でなかったとしたら〕月の蝕がもつ切断線はそのようなものではなかっただろう。じっさい、朔望月における形状変化ではあらゆる分断の形をとるのに対し(確かに直線にも凸曲線にも凹曲線にもなる)、蝕の場合には常に分断線は凸曲線であって、それゆえいやしくも月蝕は大地が前にあって遮ることから起こるのだとすれば、大地の周囲が球状であることが蝕の形の原因であろう。
 さらに星々の見かけの現象からは大地の輪郭が円形であるのみならず、大きさの点で巨大なものではないことも明らかである。われわれが南もしくは北に少し場所を移すと地平線は顕著に異なるものとなって頭上の星々は大きく変化する、すなわちわれわれが北もしくは南に移動すると同じ星々は見えなくなる。幾つかの星々はエジプトやキュプロス島周辺では見られるが、北方の国々では見られず、星々のうち北方の国々では終始すがたを現わしているものがかの地方では沈んでしまうのである。したがってそれらの事象からは大地の形が円形であるのみならず、その球が巨大なものではないことも明らかである。もし巨大であったとしたら、そんなにも短い距離を移動することでそんなにも速やかに顕著な変化をもたらしはしなかっただろう。
 それゆえヘラクレスの柱周辺の場所はインド周辺の場所と繋がっており、そのようにして海は一つであると想定する人々はまったく信じがたいことを考えているとも思われない。彼らが象をも推定の手掛かりとして言うのは、最遠の地であるそれらの場所の周辺にはともに象の種族がいて、それはそれら最遠の場所が互いに繋がっていることによってそのような共通性をもつからだということである。
 数学者たちのうち大地の周囲の大きさを算出しようと試みた人々もそれは四〇万スタディオンに及ぶと言っている。
 以上のことから推定すれば、大地の塊体は球形であるのみならず、他の星々の大きさと比較して大きいものではないのが必然である。
〔山田道夫・金山弥平/訳『アリストテレス全集 5』(pp. 138-139)


アトラスの天球儀


 ナポリ国立考古学博物館に所蔵されている「ファルネーゼのアトラス像」の肩には、大きな天球儀が乗っかっています。

 ◯ この天球儀については、『新訳 ダンネマン 大自然科学史 1〈復刻版〉』の本文と訳注で、次のように説明されています。

『新訳 ダンネマン 大自然科学史 1〈復刻版〉』

 天と地は球形であるという観念は、すでに古代において球儀の製作に導いた。まずはじめに天球儀があらわれた。それらの一つは「ファルネーゼの球儀」として、今日まで伝わっている。それはナポリの国立博物館に保存されている大理石の球で、「ファルネーゼのアトラス像」の肩にのっている(※五)
(※五・三五六ページ) アレッサンドロ・ファルネーゼは法王パオロ三世。ミケランゼロが彼のために建てたファルネーゼ宮のコレクションがのちにナポリに移管された。
〔Friedrich Dannemann/著、安田徳太郎/訳・編『新訳 ダンネマン 大自然科学史 1〈復刻版〉』(p. 356, 366)



 ◉ この「ファルネーゼのアトラス像」の肩の天球儀がヒッパルコスのデータに基づくものであるらしいという『日経サイエンス』に掲載された記事が、『古代の星空を読み解く』の脚注 (p. 123) で紹介されていました。


『日経サイエンス』 02 2007  Vol.37 No.2

 星座の起源
 The Origin of the Greek Constellations

 (SCIENTIFIC AMERICAN November 2006)

B. E. シェーファー (Bradley E. Schaefer)(ルイジアナ州立大学)

(翻訳協力:槇原凛)


「星の位置を変える歳差運動」

星座の位置
 星座は長い時間をかけて天の経線(赤経線)と赤道に対する座標上の位置を変えているため、年代推定の指標として用いることができる。例えば「ファルネーゼのアトラス像」(次ページの囲み参照)は、肩に載せている天球儀のおひつじ座の位置を分析すると、紀元前 125 年ごろ最初の像が作られたとわかる。おひつじ座の角の先端が天の経線上にさしかかった年代だ。


 (p. 91) MELISSA THOMAS




 (p. 92) © MUSEO ARCHEOLOGICO NAZIONALE, NAPLES, ITALY /
 BRIDGEMAN ART LIBRARY (left);〔上〕
 GERRY PICUS, COURTESY OF GRIFFITH OBSERVATORY (right)〔下〕

「ファルネーゼのアトラス像」

 現存最古のギリシャの星座の天球図は、2 世紀に古代ローマで作られた「ファルネーゼのアトラス像」に見ることができる。美術史研究家によれば、古代ギリシャ時代の像をもとに複製したものだという。天球を肩に担ぐアトラス神の姿の彫像は大理石製で、現在はナポリにある。
 天球儀の星座の位置を分析すれば、誤差 2° 以内で、つまり誤差 55 年以内で紀元前 125 年のものであることがわかる。このことは、元になったデータが星表のように系統的で正確なものだったことを示している。ヒッパルコスの星表は、当時のものとしては現存する唯一の存在だ。また、アトラス像の天球儀の星座と一致する文献はヒッパルコスの『注釈』だけだ。
 もちろん、同時代のほかの天文学者によって星表が作成されていた可能性はあるが、現存しているという情報はない。ヒッパルコスの星表がアトラス像の天球儀のデータとなっていることはほぼ間違いない。
〔『日経サイエンス』2007 年 2 月号 (p. 91, p. 92)


◉ 2000 年以上が経過して、ヒッパルコスのデータが視覚的に印象づけられる時代が新たに到来しているようです。


Google サイト で、本日、前回分と合わせ、もう少し詳しい内容のページを公開しました。

日告げの宮 : ファルネーゼのアトラス
https://sites.google.com/view/hitsuge/arcus/Atlas

―― もう少し詳しい内容のページを、以下のサイトで公開しています。

日告げの宮 : 春分の星座 ―― 歳差運動の発見 ――
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hitsuge/Hipparchos.html

5 件のコメント:

  1.  「孔子の見た北辰」と現代の北極星である「小熊座の α 星」とは何の関係もありません。孔子の生きた時代の天の北極点に星(極星)があったとされているだけです。

     たとえば,福島久雄著「孔子の見た星空」にも引用されている,後漢の学者・鄭玄のさらに古い文献『(周禮)考工記』の注には「極星謂北辰」(極星はいわゆる北辰である)とあります。実際歳差を計算すると,孔子の生きた時代の天の北極点付近には6.0等星の星HR4927があります。福島久雄著「孔子の見た星空」の星図は5.0等星より明るい星で描かれており,孔子の時代の天の北極点には5.0等より明るい星はなかったと言っているにすぎません。唐宋の北極星HR4893が5.3等星と5.0等星より暗いことから,北極星が明るい星とする現代の日本の天文学界の先入観・認識が間違っているのです。

     北宋の学者・沈括(1031~1095)の引退後の回顧談である『夢渓筆談』(127条)にも「漢以前皆以北辰居天中,故謂之極星。」(漢代以前には誰もが北辰は天の中心にあると考えていたので、これ(北辰)を極星と呼ぶ。) という記述があります。北辰を極星(北極星)とする文献は,中国にもあります。『孔子の見た星空』はこれらの北辰に関する基本的な文献を調べておらず,北辰が星でないことについて,一つも論証していません。
     

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  2.  コメントありがとうございます。
     このような、さまざまな知見が積み重なっていくことを望んでいます。
     新しい情報は、これからも参考にしていきたく思っておりますので、よろしくお願いいたします。

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  3. 孔子の云う北辰が春秋時代から漢代の極星(北極星:HR4927)であったことを証明しました。

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  4. なにはともあれ、おめでとうございます。
    しかしながら当方には、かなり理解が困難な内容なので、
    申し訳ないのですが、今回、それについてコメントは、できそうにありません。
    適正に評価できる研究者からの追認を願っております。

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    1. 「適正に評価できる研究者」はすでに日本にはいません。
      北辰が天極という安易な考えが広まったのも,それが原因です。

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