2021年8月26日木曜日

アレクサンドロス大王のインド攻略以降の文化交流

アレクサンドロス大王のペルシア進軍から死去まで

紀元前 334 年、アレクサンドロス大王、ペルシア征討のため、小アジアに進軍する。

紀元前 330 年、アケメネス朝ペルシアの滅亡。

紀元前 326 年、アレクサンドロス大王、さらに東方へと侵攻し、西部インドを攻略する。

紀元前 323 年、アレクサンドロス大王、東方遠征からバビロンへの帰還後に、急逝する。


 アレクサンドロス大王がペルシアに向けて進軍したのは、紀元前 4 世紀末のことでした。

 アレクサンドロス大王のインド侵攻後、インド西部はしばし、ギリシア人の軍事的制圧下にあったといわれます。

 ギリシア人のメガステネース(メガステネス)は、紀元前 300 年頃に、大使としてインドに駐在し、帰国後に『インド誌』という記録を残しました。


 また『ミリンダ王の問い』(全 3 巻)〔中村元・早島鏡正/訳 1963~1964 年 平凡社/発行〕の第 3 巻にある早島鏡正氏の解説 (pp.324-325) には、次のように記されています。


『ミリンダ王の問い』という題は、翻訳名であって、Milindapañhā あるいは Milindapañho が原名である。パーリ語で書かれた聖典の一つである。

〔中略〕

『ミリンダ王の問い』は、紀元前二世紀の後半、すなわち紀元前一五〇年ごろに、西北インドを支配したギリシアの王メナンドロス(インド名をミリンダという)と、仏教の経典に精通した学僧ナーガセーナとの間にかわされた対論の書である。



 ◎ さてアレクサンドロス大王によるインド遠征以降のインドに関する記録については、次のような文献が参考になると思われ、ここにその一部を抜粋し、紹介しておきたく思います。


『インド史Ⅱ』(中村元選集〔決定版〕 第 6 巻)

 〔中村元/著 1997年09月10日 春秋社/発行〕


 〔付篇 1 〕 マウリヤ王朝時代研究資料

 四 文献資料

 ㈠ ギリシア・ローマの記録

  ⑵ メガステネースの『インド誌』

 (pp.557-559)

 インドとギリシアとの接触を真に密接にしたのは、アレクサンドロスの遠征であった。ヘレニズムおよびローマ時代のギリシア人がインドについて知っていた主要点はメガステネース Megasthenēs 前三五〇~二九〇年ころ)の言明にもとづくものである。彼はもとは小アジアのイオーニア人であるが、『インド誌』(Indika) と称する四巻の書を著わした。この書はチャンドラグプタ王時代のインドの実情を伝えているものとしてきわめて重要である。

 アレクサンドロス大王は西紀前三二六年にインドに侵入し、西部インドを攻略したが、翌年西方に帰還し、三二三年七月バビロンで客死した。その後、西北インドはしばらくのあいだギリシア人の軍事的制圧下にあった。西紀前三一七年頃にチャンドラグプタ (Candragupta) という一青年が挙兵して、マガダ王となりマウリヤ (Maurya) 王朝を創始したが、彼は西北インドからギリシア人の軍事的勢力を一掃し、インド史上初めてインド全体を統一した。たまたまシリア王セレウコス・ニカトール (Seleukos Nikatōr) がアレクサンドロスの故地回復を志して、三〇五年にインダス河を越えて侵入して来たが、チャンドラグプタはその軍隊を撃破した。両王の講和が成立してのち、セレウコスの大使としてチャンドラグプタ王の宮廷に派遣されたのが、このメガステネースである。彼についてシャントレーヌは論じる。――

 メガステネースはギリシア人であり、イオーニアの純粋のギリシア人の家系の出身である。彼はシリア王セレウコス・ニカトールの使臣としてアラコーシア (Arachōsia) の太守 (Satrapēs) であるシビュルティオス (Sibyrtios) の宮廷に来たり、次にそこから王の大使としてパータリプトラ (Pāṭaliputra) のチャンドラグプタ王の宮廷に派遣された。インドに滞在していた期間は不明であるが、チャンドラグプタ王とセレウコスとの講和は西紀前三〇四年または三〇三年であるから、そののちまもなくインドに派遣され、西紀前二九二年ころにインドを去った。彼はおそらく西紀前三五〇~二九〇年のあいだの人であるから、したがって、後人の記すように、セレウコス・ニカトール(西紀前三五八~二八〇年)とほぼ同時代の人である。

 メガステネースはつねに首都パータリプトラに滞在し、しばしばチャンドラグプタ王と会見したが、また閑暇には視察・調査の小旅行を行なっていた。ただしこの小旅行も、今日のビハール以外の土地には及ばなかったらしい。ガンジス河以東については、彼は何も知っていない。また西方地域については、せいぜい往復の途中通過する際に皮相の観察を行なったにとどまる。デカン地方に関する記述もきわめて乏しい。メガステネースは、さほど広範囲の旅行は行なわなかった、とアリアノスは批評している。


2021年7月22日木曜日

絲綢之路/絹の道/瑠璃の道

 絲綢之路がシルクロード(絹の道)の中国語であることはよく知られています。

 ラピスラズリ(青金石)ともいわれる瑠璃は「吠瑠璃」の略で、サンスクリット語の音写による漢訳語です。

 さて。

 古代のメソポタミアを中心に流通していた宝石ラピスラズリは、現在のアフガニスタン北東部ヒンドゥクシュ山脈北側のバダフシャーン(バダクシャン)地方を原産地とするようです。

 紀元前 3500 年頃には、アフガニスタン産のラピスラズリの交易路は、遠くエジプトにまで達していたとされます。

 またいっぽうで、ヒンドゥクシュ山脈の東側にはシルクロードの天山南路があり、そのキジルでは壁画にラピスラズリが青の顔料としてふんだんに用いられているために、「青の石窟」という別名があるようです。



 ◯ 次の資料でシルクロード以前の「ラピスラズリの路」について、詳しく語られていましたので抜粋して紹介しておきたく思います。



『漢代以前のシルクロード』運ばれた馬とラピスラズリ

〔川又正智/著 2006年10月05日 雄山閣/発行〕


 第Ⅲ章 ラピスラズリの路 ― 遠距離交渉の確認 ―

 a くりかえされる交易 ― 原料獲得の路

 (pp.39-40)

 シルクロードという名は絹を交易品代表として命名したものであり、また、絹馬交易・玉[ぎょく]ロードなどの名称もあり、宝貝・ラピスラズリ・ガラス・琥珀・毛皮なども遠距離交易のテーマとしてかたられることがおおいが、これらは生活上いわゆる贅沢品・奢侈品である。そのなかには産地を限定できるものがある。動植物・鉱物には原産地を特定できるものがあり、人工物には製作技術やデザインから生産地を決定できるものがある。ある地域に産しないものがそこにあれば、他地域から持ちこんだものにちがいなく、交易、すくなくとも何か関係のあった証拠である。

 かんがえてみれば、生物はもともと食料の確保できる地に棲息するもので、いわば自給自足で、これは人類も生物である以上おなじである。ただ、人類はある時から、実用品以外の奢侈品、あるいは実用品でもより良い物を、始めは少量であったかもしれないが段々多量に必要とするようになり、また生活技術の進歩によりそれまで知らなかった実用品を必要とする新時代になることもある。金属や石油はその代表である。その類のものはそれまで生きてきた生活圏にあるとはかぎらないし、さらに地球上の資源存在は均一ではなく偏在しているのだから、これを他地域・遠方から入手する必要にせまられるのである。

 実用品でふるくから到来品であったものは石器材料の石である。石などどこにでもあるようにおもうが、メソポタミア下流のような巨大な沖積地には無い。それに、石器はどの石でもおなじようにできるわけではなく、石器としてのよい石・わるい石がある。たとえば新石器時代の西アジアでは、現在のトルコ中・東部産の黒曜石がひろくイスラエルやイラク南部にまで分布している。とおい所は産地から、1000 km ちかくはある[ローフ 1994 pp.34‐35]。交場の実態は不明である。黒曜石は天然の火山ガラスで、非常に鋭利な刃をつくることができる。化学成分によって産地を同定できることがある。

 石器のひろがりが何故なのかはわかる。形によって機能がちがう。あの形につくればこういう場合に便利なのだ、あの形にするにはこうしてつくるのだ、とおもうだろう。それにはあの石質がよいのだ、ともおもうであろう。石器製作方法や石材はひろがっていく。

 土器の紋様のひろがりは何故であろうか。形や質は機能・つかい勝手と関係があるが、紋様まで他の村とおなじにするのは何故か。単に気に入ったデザインだから流行して行くというのか。土器はこの紋様、と決まっているのか(製作者が村々を巡回して行くとか、婚姻で入り込むとか、の説明がある)。我々はこのデザイン、という他族と区別する集団意識のようなものがあるのか。つまり、流行の範囲のことであるが、これがどう決まるのかは不思議である。


 b 〝遠方〟という意識 ― 他世界との交流

 (p.40)

 東西交渉とかシルクロードという言いかたは、文明圏・生活圏・政治圏などを超える他地域・他世界との交流・交渉ということが第一義なので、単に遠距離ということが問題なのではない。結果として遠距離交易などと言い換えることができるだけである。しかし、人は遠古からそんなに遠方と関係をもつものであろうか、ということは当然基本的な疑問としてある。もとより人類はアフリカに発生しそこから世界各地への拡散と推定されており、現生人類もその系統にはまだ諸説あるようであるが、どの説に立っても遠距離のグレイトジャーニーを成し遂げたにはちがいない。しかしこれは無意識の結果としての遠距離である。本書で問題にするのは、人類の拡散よりはずっと後の時代であり、〝遠方〟という意識がともなっている時代である。そこでまず、遠方・遠距離自体ということはやはり重要な要素であるのでそれをかんがえてみよう。〝距離〟は人間活動の上で、歴史の上で意味のあることである。


 c 宝貝の路

 (p.41)

 最古の遠距離到来奢侈品代表は宝貝(子安貝)であろう。

 (p.42)

石器時代から現代までながく、ひろく移動している物質である。

 ラピスラズリもそうであるが、現代の我々はこのような宝貝等を単なる王侯の贅沢品と解釈しがちであるが、当時は、いわば社会的宝物であったので、王侯個人の贅沢・宝物のみではなかったようである。漢字の貝字は宝貝の象形字である。これが貨・貯・財・寶など現在の意味では経済関係の文字にのこっているのは今いう通貨であったからではなくて、文字以前からもっと別な役割をになっていた名残である。


 d 金属器時代への変化

 (p.43)

 金属器時代になると、先に述べたように、金属は生物としてもともと何らかかわりのあった物質ではない新物質であり、さらに実用品でもあるので、金属は細々としたルートによる入手のみでは足らず、大量かつ継続的に原料を確保する必要が生じてくる。金属の入手は社会や経済の仕組をおおきく変えることになる。

 最近の学界では、初期金属器時代の変化としてメソポタミアのウルクや黄河流域の鄭州二里崗が大勢力化することをとりあげて、ウルクエキスパンション・二里崗インパクトなどと呼ばれる用語がつくられて議論されている。これは金属器時代に入った初期に勢力を持ち、大規模な資源探索部隊を遠征させた状況を代表する都市である。これらの都市こそが、金属のみならずラピスラズリや玉をもとめて遠距離交易を促進したのである。


 e ラピスラズリとは

 (p.44)

 ラピスラズリの古代における産地は、現在のアフガニスターン東北部ヒンドゥークシュ山脈北側バダフシャーン地方、ファイザーバード市南方コクチャ河(アム河の支流)ケラノムンジャン渓谷のサルイサング谷周辺に限定でき、現在も採掘している。


 f ラピスラズリの路

 (p.48)

 ラピスラズリの他に紅玉髄[カーネリアン]・トルコ石・容器をつくる凍石[クロライト]などの石も西アジア一帯を運ばれたものであることが最近わかっている[大津・後藤 1999 ; 後藤 2000]。またこれらは、エジプトからインダスにかけて出土するので、いわゆる古代四大文明のうちインダス・メソポタミア・エジプトはつながりのあることがわかるのである、農牧文化複合がおなじ西アジア型であることとともに。

 (pp.48-49)

 ラピスラズリの路については、関係報告書も見がたい本がおおいが、要点は『ラピスラズリの路』[堀・石田 1986]・『古代オリエント商人の世界』[クレンゲル 1983]にまとめてある。


引用・参考文献

[ローフ 1994 pp.34‐35]

  ローフ、マイケル 1994『図説世界文化地理大百科 古代のメソポタミア』(松谷敏雄監訳)朝倉書店

[大津・後藤 1999 ; 後藤 2000]

  大津忠彦・後藤健 1999『石器と石製容器 石にみる中近東の歴史』中近東文化センター

  後藤健 2000『インダスとメソポタミアの間」『NHK スペシャル 四大文明 インダス』(近藤英夫編)日本放送出版協会

[堀・石田 1986]

  堀晄・石田恵子 1986『ラピスラズリの路』古代オリエント博物館

[クレンゲル 1983]

  クレンゲル 1983「古代オリエント商人の世界」(江上・五味訳)山川出版社



―― その他の関連資料を、参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


〈シルクロード Silk Road 〉の彼方より

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/silkroad.html


2021年6月17日木曜日

薬師十二神将のサンスクリット語

 薬師如来の眷属である〝十二神将〟とは、12 の夜叉(薬叉)の大将のことでした。

 前回、中村元著『佛教語大辞典 縮刷版』を参照し、読み仮名を列記しましたけれども、今回はそれぞれのサンスクリット語を転記して、もとの意味をできる範囲で調べてみました。


使用した主な辞書は次のとおりです。


『佛教語大辞典』 縮刷版

中村元[なかむら・はじめ]/著

昭和56年05月20日 東京書籍/発行


『漢訳対照 梵和大辞典』 増補改訂版

財団法人鈴木学術財団/編

財団法人鈴木学術財団/刊

昭和54年08月20日 講談社/発売


Prin. Vaman Shivaram Apte,

THE PRACTICAL SANSKRIT-ENGLISH DICTIONARY

(Revised & Enlarged Edition)

V. S. アプテ『梵英辞典』(改訂増補版)

昭和53年04月15日 複製第1刷 臨川書店/発行


▣ 宮毘羅大將(くびらだいしょう)

kuṃbhīro nāma mahā-yakṣa-senāpatiḥ

kumbhīra 鰐魚(蛟・蛟龍) ⇨ 【漢訳】金毘羅

 कुम् भीरः ⇒ A shark, Crocodile

nāma ⇨ 【漢訳】雖已見、或見

 नाम ⇒ Named, called, by name

nāman ⇨ 【漢訳】名、名号

 नामन्  ⇒ A name, appellation, personal name

mahā (mahat) ⇨ 【漢訳】大、広大

 महा ⇒ The substitute महत्

yakṣa 超自然的存在 ⇨ 【漢訳】鬼神、夜叉、薬叉

 यक्षः ⇒

 N. of a class of demigods who are described as attendants of Kubera

senā-patiḥ 将軍 ⇨ 【漢訳】大将

 सेनापतिः ⇒ a general


▣ 伐折羅大將(ばざらだいしょう)

Vajro nāma mahāyakṣasenāpatiḥ

vajra 雷電;金剛石 ⇨ 【漢訳】金剛、金剛杵

 वज्र ⇒ adamantine, A thunderbolt, the weapon od Indra


▣ 迷企羅大將(めいきらだいしょう)

Mekhilo nāma mahā-yakṣa-senāpatiḥ

mekhalā 腰帯、帯[取り巻くまたは囲むものの譬喩にもちいる] ⇨ 【漢訳】帯、腰帯、宝帯

 मेखला ⇒ A belt, girdle, waist-band, zone in general


▣ 安底羅大將(あんちらだいしょう)

Antiro nāma mahāyakṣa-senāpatiḥ

anti 反対して、前に;近く

 अन्ति ⇒ Near, before, in the presence of

antika 近き ⇨ 【漢訳】近、所、処

 अन्तिक ⇒ Near, proximate

antima 最後の、最終の ⇨ 【漢訳】最後

 अन्तिम ⇒ Immediately following ; Last, final, ultimate


▣ 頞儞羅大將(あにらたいしょう)

anilonāma mahāyakṣa-senāpatiḥ

anila 風、Vāyu 神;生気 ⇨ 【漢訳】風

 अनिलः ⇒ Wind ; The god of wind


▣ 珊底羅大將(さんちらだいしょう)

Saṃthilo nāma mahāyakṣa-senāpati


▣ 因達羅大將(いんだらだいしょう)

indālo nāma mahāyakṣa-senāpatiḥ


▣ 波夷羅大將(はいらだいしょう)

Pāyilo nāma mahā-yakṣa-senāpatiḥ


▣ 摩虎羅大將(まごらだいしょう)

mahālo nāma mahāyakṣa-senāpati


▣ 眞達羅大將(しんだらだいしょう)

cindālo nāma mahāyakṣa-senāpatiḥ


▣ 招杜羅大將(しょうどらだいしょう)

caundhulo nāma mahāyakṣa-senāpatiḥ


▣ 毘羯羅大將(びぎゃらだいしょう)

Vikālo nāma mahāyakṣa-senāpatiḥ

vikāla 夕方 ⇨ 【漢訳】夜、暮、日暮、非時

 विकालः, -विकालकः ⇒

 1 Evening, evening twilight, the close of day.

 -2 Improper time, unseasonable hour



―― これまでに調べたものを含めて、それなりにまとめたページを、以下のサイトで公開しています。


Sanskrit सन्स्क्रित्

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/sanskrit/index.html


2021年6月5日土曜日

夜叉(薬叉)大将と八部衆

 薬師如来の眷属である〝十二神将〟とは、12 の夜叉(薬叉)の大将のことです。〈夜叉(ヤシャ)〉は「仏説薬師如来本願経」などにある表記で、また〈薬叉(ヤクシャ)〉は「薬師琉璃光如来本願功徳経」などの表記で、いずれも〝超自然的存在〟を意味するサンスクリット語の音写文字となります。

 サンスクリット語では、


यक्ष yakṣa


なので、これをカタカナで書くと〈ヤクシャ〉に近い発音になるようです。

 漢訳された仏教経典には、〝十二神将〟は、次のように名称が列記されています。


『大正新脩大藏經』第十四卷


「佛說藥師如來本願經」隋天竺三藏達摩笈多譯

 (p.404)

宮毘羅大將  跋折羅大將

迷佉羅大將  安捺羅大將

安怛羅大將  摩涅羅大將

因陀羅大將  波異羅大將

摩呼羅大將  眞達羅大將

招度羅大將  鼻羯羅大將


「藥師琉璃光如來本願功德經」大唐三藏法師玄奘奉 詔譯

 (p.408)

宮毘羅大將  伐折羅大將

迷企羅大將  安底羅大將

頞儞羅大將  珊底羅大將

因達羅大將  波夷羅大將

摩虎羅大將  眞達羅大將

招杜羅大將  毘羯羅大將



 かくして翻訳者によって漢字の選び方に流儀があり、またこれらの漢字の読み方にも複数の流派があるようです。

 今回、中村元著『佛教語大辞典 縮刷版』の記述にしたがって読めば、


宮毘羅大將(くびらだいしょう)

伐折羅大將(ばざらだいしょう)

迷企羅大將(めいきらだいしょう)

安底羅大將(あんちらだいしょう)

頞儞羅大將(あにらたいしょう)

珊底羅大將(さんちらだいしょう)

因達羅大將(いんだらだいしょう)

波夷羅大將(はいらだいしょう)

摩虎羅大將(まごらだいしょう)

眞達羅大將(しんだらだいしょう)

招杜羅大將(しょうどらだいしょう)

毘羯羅大將(びぎゃらだいしょう)


と、なります。

 さて、眷属(けんぞく)には「つき従うもの」という意味がありますが、これら〝十二神将〟は仏法僧に帰依することを宣言するだけじゃおさまらず、仏法の修行僧を守護する役目を負うことまで、この経典中で宣誓しています。

 ところで先だっては、〈阿修羅(アスラ)〉について調べておったのですけれども、その〈阿修羅〉と今回の〈夜叉〉は、ともに〝八部衆〟の一員に名を連ねているのでした。

 〝八部衆〟は「天・龍」にはじまる鬼神の名称で、〝天龍八部衆〟とも称されます。『広辞苑』には次のように書かれていました。


てんりゅうはちぶしゅう【天竜八部衆】

仏法を守護するとされる八種の異類。天・竜・夜叉・乾闥婆(ケンダツバ)・阿修羅・迦楼羅(カルラ)・緊那羅(キンナラ)・摩睺羅迦(マゴラガ)のこと。もと古代インドの神々で鬼竜の類。八部。八部衆。竜神八部。


 でもって〝八部衆〟のメンバーについては、仏教辞典から抜粋してみました。


『岩波 仏教辞典』 第二版

〔中村元福永光司田村芳朗今野達末木文美士/編 2002年10月30日 第2版第1刷 岩波書店/発行〕


 天 てん

 (p.733)

 サンスクリット語 deva の訳で、神を意味する。神の概念は仏教の救済論には本来不必要であるが、バラモン(婆羅門)文化の影響下に仏教にとりいれられた。バラモン教(婆羅門教)においては『リグ‐ヴェーダ』以来 33 神、あるいは 3339 神ともいわれる多数の神が信仰されたが、その多くは自然現象が神格化されたものである。deva(本来、輝くもの、の意)は、ギリシア語 zeus やラテン語 deus と語源を同じくし、したがってバラモン教の神の概念はギリシア神話やローマ神話のそれと共通するところがある。


 竜 りゅう [s: nāga]

 (pp.1044-1045)

 〈那伽 なが〉と音写。蛇に似た形の一種の鬼神 きしん。天竜八部衆の一つ。インド神話におけるナーガは、蛇(特にコブラ)を神格化したもので、大海あるいは地底の世界に住むとされる人面蛇身の半神。彼等の長である〈竜王〉(nāga-rāja) は巨大で猛毒をもつものとして恐れられた半面、降雨を招き大地に豊穣をもたらす恩恵の授与者として信仰を集めた。特にインドの原住民部族の間では古くからナーガ信仰が盛んであった。

 ナーガは仏教でも初期聖典以来知られ、特に仏伝 ぶつでん 文学には仏陀 ぶっだ を豪雨より護った竜王の話などが見られて、早くから仏教彫刻などの題材ともされた。後にはインド神話の上で天敵とされていたガルダ鳥(迦楼羅 かるら・金翅鳥 こんじちょう)とともに八部衆に組み入れられ、また仏法の聴聞者として〈八大竜王〉なども立てられた。中国では〈竜〉と漢訳された。中国の竜は、鳳・麟・亀とともに四霊の一つで神聖視された。角、四足、長いひげのある鱗虫の長で、雲を起し雨を降らせ、春分に天に昇り秋分に淵に隠れるといわれる。そこで仏教の竜も中国的な竜のイメージで思い浮かベられるなど、大きく変容した。わが国の竜神 りゅうじん 信仰は中国の竜と日本の蛇=水神との習合であるが、雨乞 あまごい の神、豊漁の神、海の神として信仰された。


 夜叉 やしゃ

 (p.1015)

 サンスクリット語 yakṣa に相当する音写。ヤクシャ。〈薬叉 やくしゃ〉と音写されることもある。主として森林に住む神霊である。鬼神として恐しい半面、人に大なる恩恵をもたらすともされた。ヤクシャは樹木と関係が深く、しばしば聖樹と共に図像化されている。女性のヤクシャ(ヤクシー、ヤクシニー)の像も数多く残っている。水との縁も深く、「水を崇拝する (yakṣ-) 」といったので yakṣa と名づけられたという語源解釈も存する。仏教に取り入れられて、八部衆の一つとなった。なお、〈夜叉〉は特定の神格ではなく、北方守護の毘沙門天 びしゃもんてん の眷属である鬼神の総称。またわが国では古来、夜叉に帰依して新生児の無事を祈願し、名をもらい受ける習俗があり、その名の代表的なものが女子名の〈あぐり〉である。


 乾闥婆 けんだつば

 (p.291)

 サンスクリット語 gandharva の音写。〈香神 こうじん〉〈食香 じきこう〉などと漢訳し、また〈犍達婆〉〈健闥縛〉〈乾沓和 けんとうわ〉などとも音写する。1) 天上の音楽師、楽神ガンダルヴァ。2) 中有 ちゅうう の身体。

 インド神話におけるガンダルヴァは、古くは神々の飲料であるソーマ酒を守り、医薬に通暁した空中の半神とされ、また特に女性に対して神秘的な力を及ぼす霊的存在とも考えられていたが、後には天女アプサラスを伴侶として、インドラ(帝釈天 たいしゃくてん)に仕える天上の楽師として知られるようになった。仏教では、この楽師としての半神ガンダルヴァが、歌神の緊那羅 きんなら とともに天竜八部衆の一つに数えられる一方で、また女性の懐妊・出産などにかかわるその神秘的性格のゆえか、輪廻転生 りんねてんしょう に不可欠な霊的存在とも見なされ、肉体が滅びてのちに新たな肉体を獲得するまでの一種の霊魂、すなわち微細な五蘊 ごうん からなる〈中有の身体〉を意味するという特殊な用法も生んだ。胎児や幼児を悪鬼から守るといわれる密教の(栴檀 せんだん)乾闥婆神王 けんだつばしんのう は、人間の再生に不可欠なこの中有の身体としてのガンダルヴァが神格化されたものであろう。

 なお、インドの古典文学において〈ガンダルヴァの都〉(gandharva-nagara) は蜃気楼 しんきろう を意味し、実在しない虚妄なもののたとえに用いられるが、この表現は仏典でも好んで使用された。〈乾闥婆城〉〈尋香城 じんこうじょう〉などと漢訳される。


 阿修羅 あしゅら

 (p.10)

 サンスクリット語 asura の音写。略して〈修羅 しゅら〉。〈阿素羅 あそら〉〈阿須倫 あしゅりん〉などとも音写し、また〈非天 ひてん〉〈無酒神 むしゅしん〉(いずれも通俗的な語源解釈に基づく)などの漢訳語もある。血気さかんで、闘争を好む鬼神の一種。原語の asura は古代イラン語の ahura に対応し、元来は ahura と同じく〈善神〉を意味していた。しかしのちインドラ神(帝釈天 たいしゃくてん)などの台頭とともに彼等の敵とみなされるようになり、常に彼等に戦いを挑む悪魔・鬼神の類へと追いやられた。原語を〈神 (sura) ならざる(否定辞 a )もの〉と解する通俗的な語源解釈(漢訳:非天)も、恐らくその地位の格下げと悪神のイメージの定着に一役買ったと思われる。

 仏教の輪廻転生 りんねてんしょう 説のうち、五趣(五道)説では独立して立てられないが、六道説では阿修羅の生存状態、もしくはその住む世界が〈(阿)修羅道〉として、三善道の一つに加えられている。仏教ではまた、天竜八部衆(八部衆)にも組み入れられて、仏法の守護神の地位も与えられた。また密教の胎蔵界曼荼羅 たいぞうかいまんだら では、外金剛部院にその姿を見ることもできる。図像学的には三面六臂 さんめんろっぴ で表されることが多く、興福寺の阿修羅像(天平時代)はその代表例である。

 戦闘を好む阿修羅神は、古来仏教説話などを通じてわが国にも広く知られ、悲惨な闘争の繰り広げられる場所や状況を〈修羅場 しゅらば・しゅらじょう〉、戦闘を筋とする能楽の脚本を〈修羅物 しゅらもの〉、また争いの止まない世間を〈修羅の巷 ちまた〉と呼ぶなど、多くの比喩表現も生んだ。なお、阿修羅の好戦を象徴する阿修羅王と帝釈天の戦闘は『俱舎論 くしゃろん』や正法念処経の所説に由来するもので、そのとき帝釈天宮に攻め上った阿修羅王が日月をつかみ、手で覆うことから日蝕・月蝕が発生するとも説かれる。


 迦楼羅 かるら

 (p.165)

 サンスクリット語 garuḍa に相当する音写。ガルダ。〈金翅鳥 こんじちょう〉と訳される。伝説上の巨鳥。ガルダは竜(蛇)の一族の奴隷となった母を救うために、神々と争って不死の飲料であるアムリタ(甘露 かんろ)を手に入れ、母を解放した。竜を憎んで食べるとされる。ヴィシュヌ神と親交を結び、その乗物となったという。仏教にも取り入れられて、八部衆の一つとされる。『リグ‐ヴェーダ』において、神酒ソーマを地上にもたらした鷲(スパルナ)と同一視される。


 緊那羅 きんなら

 (pp.235-236)

 サンスクリット語 kiṃnara の音写。〈人非人 にんぴにん〉〈疑神〉の漢訳語もある。歌神。天界の楽師で、特に美しい歌声をもつことで知られる。もとインドの物語文学では、ヒマラヤ山のクベーラ神の世界の住人で、歌舞音曲に秀でた半人半獣(馬首人身)の生き物として知られたが、仏教では乾闥婆 けんだつば とともに天竜八部衆に組み入れられ、仏法を守護する神となった。人非人(人とも人でないともいえないもの)や疑神の漢訳語は、この語の通俗的な語源解釈(人間 (nara) だろうか?)に基づいている。密教の胎蔵界曼荼羅 たいぞうかいまんだら では外金剛部院の北方にその姿が見える。なおわが国では、香山 こうせん の大樹 だいじゅ 緊那羅が仏前で 8 万 4 千の音楽を奏し、摩訶迦葉 まかかしょう がその妙音に威儀を忘れて立ち踊ったという故事(大樹緊那羅王所間経 1、『法華文句』2)で著名。


 摩睺羅迦 まごらが

 (p.954)

 サンスクリット語 mahoraga に相当する音写。大蛇の意。蛇神。仏教に取り入れられて、仏法を守護する 8 種の半神的存在(八部衆 はちぶしゅう または天竜八部)の一つに数えられる。密教の胎蔵界曼荼羅 たいぞうかいまんだら では外金剛部院の北方に姿が見える。


 ようするに、おおよそ〈阿修羅〉を「鬼神」の代表格にみるとして、〈夜叉〉には「自然の精霊・森の鬼神」などのイメージがあり、天女アプサラスの伴侶でもある〈乾闥婆〉は「音楽師・音楽の神」で、〈迦楼羅〉は「不死の飲料であるアムリタ」に関係のある「伝説上の巨鳥」、《人非人》とも漢訳される〈緊那羅〉は「美しい歌声」の「天界の楽師」、〈摩睺羅迦〉は「大蛇・蛇神」ということになります。


―― その他の原典等を含めて、参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


夜叉十二大将と天龍八部衆

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/yaksha.html


2021年5月19日水曜日

弥勒菩薩が〈毘盧遮那〉という名の転輪聖王だった話

 前回は、「照らす」とか「太陽神」を意味する〈ヴィローチャナ〉というサンスクリット語が〈阿修羅(アスラ)〉の名前に使われていて、また

〝インドの古典『マハーバーラタ』でも、〈ヴィローチャナ〉は〈アスラ〉の名前なのですけれども、〈ヴィローチャナ〉の息子を〈バリ〉といい、〈バリ〉は〈ヴァイローチャナ〉とも呼ばれるようです。〟

とかなんとか書いた最後に、

〝続けて調べていくと、未来の救世主〈弥勒菩薩〉まで出てきて、話が転転 ……〈転輪聖王〉は「てんりんじょうおう」と読むらしいのですけれど。〟

とも書きましたが、〈転輪聖王〉とは〝世界を治める理想的な正義の王〟らしいです。

 というわけで今回は、〈弥勒(マイトレーヤ)〉が〈毘盧遮那(ヴァイローチャナ)〉という名前の〈転輪聖王〉であったことが述べられている仏教経典を参照いたしましょう。


 現在のところサンスクリット語のみで伝わっている『マハーヴァストゥ (Mahāvastu) 』という仏教の経典は、『岩波 仏教辞典 第二版』(p.957) に、

「〈大事 だいじ〉と訳される大衆部 だいしゅぶ の説出世部所伝の釈尊 しゃくそん の伝記を伝える経典」

等と説明されていて、またその内容の一部が漢訳仏典の『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』に一致することが知られています。

 その『マハーヴァストゥ』第 1 巻 59 ページの内容が、次のように紹介されており、それは漢訳経典では『大正新脩大蔵経』第 3 巻 656 ページの中断に該当するようです。



『渡辺照宏 仏教学論集』

〔渡辺照宏/著 昭和57年07月30日 筑摩書房/発行〕

 XIX VirocanaVairocana ―― 研究序説 ――

〔 1965 年 12 月、高野山開創千百五十年記念「密教学密教史論文集」(高野山大学)pp. 371‑390 〕

 (p.420)

 Mahāvastu I, p. 59: “Suprabhāso nāma Mahāmaudgalyāyana tathāgato ’rhaṃ samyaksaṃbuddho yatra Maitreyeṇa bodhisatvena prathamaṃ kuśalamūlāny avaropitāni rājñā Vairocanena cakravarti-bhūtena āyatiṃ saṃbodhiṃ prārthayamānena //”



『大正新脩大藏經』 第三卷 本緣部上

「佛本行集經卷第一」

 (p.656)

目揵連。我念往昔。有一如來。號曰善思多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀。於彼佛所。彌勒菩薩。最初發心。種諸善根。求阿耨多羅三藐三菩提。時彌勒菩薩。身作轉輪聖王。名毘盧遮那。



『國譯一切經』 本緣部 二

〔常盤大定・美濃晃順/譯 昭和06年12月15日 大東出版社/發行〕

「佛本行集經」卷の第一

 (p.6)

 (16) 目揵連よ、我念ずるに、往昔、一如來の號して [34] 善思 (Sucinta?) 多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三佛陀と曰へるありき。彼の佛の所に於て、彌勒菩薩、最初に發心し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。時に彌勒菩薩、身、轉輪聖王と作りて毘盧遮那 (Vairocana) と名く。


【34】 善思、三本に「善念」に造り、大事 (Vol. I. 59) には Suprabhāsa(善光)とす。以下、彌勒及牢弓王に關する傳、大事卷一、五九~六〇頁に一致す。



✎ 引用に際しての付記:〝牢弓王に関する伝〟は、次のように始められています。


 (17) 目揵連よ、我念ずるに、往昔、一佛あり、示誨幢如來 (Aparājita-dhvaja) と名く。目揵連よ、我、彼の佛國土の中に於て轉輪聖王と作り、名けて窂弓 (Dṛḍhadhanu) と曰ふ。初めて道心を發し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。


✐ 上の弥勒菩薩についての内容の一部をもう少しわかりやすい日本語で書くと

「彌勒菩薩、最初に發心し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。時に彌勒菩薩、身、轉輪聖王と作りて毘盧遮那 (Vairocana) と名く。」

は、

「弥勒菩薩が最初に菩提心を起して、種々の善因・善根を積んで《阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)》すなわち《無上の真実なる完全な悟り (anuttarā samyaksaṃbodhiḥ) 》を求めた時、弥勒菩薩は毘盧遮那(ヴァイローチャナ)という名前の転輪聖王となったのでした。」

というあたりでしょうか。


―― その他の原典等を含めて、参照・引用したページを、以下のサイトで公開していますので、引用した資料の詳しい内容は、そちらをご覧くださいませ。


リグ・ヴェーダのアスラ

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/asura.html


2021年5月14日金曜日

アヴェスターのアフラ/ヴェーダのアスラ

 ヴェーダの〈アスラ〉は、仏典で〈阿修羅〉という漢字が多く用いられ「あしゅら」と呼ばれています。


 ゾロアスター教やバラモン教についての解説書などを紐解きますれば、その昔イラン高原を目指したアーリア人が聖典として『アヴェスター』を残し、インドに進出した別のグループが聖典として『ヴェーダ』を残したと、おおむねそのように説かれています。

 イラン高原の聖典『アヴェスター』における最強の光の神が〈アフラ・マズダー〉で、その神格は「アフラ(主)」と「マズダー(叡智)」の、ふたつの語によって示されるといいます。

 かたやインドの聖典『ヴェーダ』では、〈アフラ〉と語源を同じくする〈アスラ〉はいつしか神々に敵対する側の勢力、すなわち魔軍の名前とされ、悪魔の一族とみなされるように変遷していきます。

 そしてそれらの神話を構成する、原始アーリア人社会には厳格な階級の区別があって、最上位に神官階級が設定されていたわけです。

 ひとまずここでそのあたりの事情を解説書から抜粋しておきましょう。


『新ゾロアスター教史』

〔青木健/著 2019年03月28日 刀水書房/発行〕


「プロローグ 原始アーリア人の民族移動」

 第一節

 (p.11)

 マルギアナ・バクトリアまで南下した原始アーリア人は、紀元前一五〇〇年ころに再びなんらかの理由で第二次民族移動を開始し、東方のインド亜大陸をめざすグループと西方のイラン高原をめざすグループに分かれた。前者は、インダス文明を築いたとみられる先住のドラヴィダ人の居住空間に入りこみ、インド亜大陸の支配者となった。インダス文明の滅亡と原始アーリア人の侵入の時期は微妙に重なるものの、両者の間に因果関係があったとは証明されていない。ともかく、地味豊穣のインド亜大陸に定住したアーリア人は、先住民族ドラヴィダ人の宗教を吸収してバラモン教を創案し、後世それをヒンドゥー教へと脱皮させながら、長くインド亜大陸の文化的規範を創りあげた。


 第二節

 (pp.14-15)

 神官階級が祈りを捧げるべき神格は多岐にわたるが、大別すれば、倫理的機能を司るアフラ神群(サンスクリット語でアスラ神群)と、自然的機能を司るダエーヴァ神群(サンスクリット語でデーヴァ神群)に二分することができる。

  • アフラ神群 ―― ミスラ、ヴァルナ、アルヤマンなど
  • ダエーヴァ神群 ―― インドラ、ナーサティヤなど

 のちに、原始アーリア人がイラン高原とインド亜大陸に分かれると、どちらの神群を重視するかの取捨選択がはっきりと分かれた。イラン高原のアーリア人は、アフラ神群を尊んで人間の倫理的規範を重視し、善と悪を峻別した。この選択で損をしたのはダエーヴァ神群で、本来はアフラ神群と対立するような存在ではない別系統の神々だったのが、一転して悪魔の地位にまで貶[おとし]められた。ゾロアスター教の善悪二元論の教えも、起源をさかのぼればこの選択の中に胚胎している。これに対し、インド亜大陸のアーリア人は、デーヴァ神群を尊んだものの、アフラ神群を排斥したわけではなかった。その結果、ヴェーダの宗教から、バラモン教、ヒンドゥー教へと、多神教的な発展を遂げていくことになる。



―― 勝てば神軍、負ければ魔軍、なのは世の常、神話の常。つまるところ、もともとは対等の神々だったふたつの神群が、その後の事情で、片方が〝悪いヤツ〟にされてしまったということのようです。

 ようするに仏教経典にも登場して、のちに《天龍八部衆》の一員にあげられる〈阿修羅〉は、そもそも単独の神ではなく、神々の派閥の名でした。バラモン教の『リグ・ヴェーダ』では、霊力の強い神々〈アスラ〉の代表として、ヴァルナとミトラが特に讃えられています。また初期の仏典でもいろいろな名前の「阿修羅王」が話題の中心にしばしば出てきます。

 そして、興味深いことには、イラン高原において〝光の神々〟であった〈アフラ〉の位置づけは、インドでも〈アスラ〉にその影響を残していたらしく、「照らす」とか「太陽神」を意味する〈ヴィローチャナ〉というサンスクリット語が、『チャーンドーグヤ=ウパニシャッド』で〈アスラ〉一族の代表者の名に用いられています。「ウパニシャッド」というのは『ヴェーダ』の〝奥義書〟とされる文献です。


 ここでさらに興味深いことにインドの古典『マハーバーラタ』でも、〈ヴィローチャナ〉は〈アスラ〉の名前なのですけれども、〈ヴィローチャナ〉の息子を〈バリ〉といい、〈バリ〉は〈ヴァイローチャナ〉とも呼ばれるようです。

 でもって、奈良・東大寺の大仏〔奈良大仏〕を〈盧舎那仏(るしゃなぶつ)〉といい、これは〈毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)〉に同じであるとされていて、〈毘盧遮那仏〉は最終如来である〈大日如来〉の別名なのですね。

 そしてこの漢訳された〈毘盧遮那〉は、サンスクリット語の〈ヴァイローチャナ〉であるという次第です。


 続けて調べていくと、未来の救世主〈弥勒菩薩〉まで出てきて、話が転転 ……〈転輪聖王〉は「てんりんじょうおう」と読むらしいのですけれど。


2021年5月7日金曜日

ウルヴァシーとフラワシもしくは魂のウルヴァン

 もはや先月のことになりますけれども、仏教経典の『大智度論』に〈ジャータカ〉として、《一角仙人》の物語が記述されている、ということを書きました。〈ジャータカ (jātaka) 〉というのは、もともとサンスクリット語で、一般には〈本生譚(ほんじょうたん)〉という和訳も多く用いられるわけです。

 この、《一角仙人》の物語はインドの古典『マハーバーラタ』では、次のようになっています。


『マハーバーラタ』 第二巻

〔山際素男/編訳 1992年05月15日 三一書房/発行〕

 森の巻 ❖ ヴァナ・パルヴァン[第三巻]

「ユディシュティラの巡礼」 角のある聖仙の話

 (pp.144-145)

 更に彼らは、大聖仙カシュヤパの息子であるヴィバーンダカの子、リシュヤシュリンガ(かもしかの角をもつものの意、仏教では一角仙人といわれる)聖仙の隠棲地に辿りついた。

 ローマシャは、そこでリシュヤシュリンガの行った奇跡について物語った。

「昔、聖仙ヴィバーンダカが長く厳しい苦行を行い、疲れた体を癒そうと湖に行き、体を洗った。その時、天界一の美女と謳[うた]われたアプサラス、ウルヴァシーの姿を見、欲情を覚え思わず水中に射精してしまった。ちょうどその時梵天ブラフマーの命[めい]で牝鹿になったウルヴァシーが渇きを癒そうと、その水を飲み聖仙[リシ]の精液も一緒に飲んでしまったのだ。そして身籠[みごも]ったのがリシュヤシュリンガである。生れつき彼の額には小さな角がありそのためリシュヤシュリンガ(鹿の角を持つ者)と呼ばれるようになった。



 ここで物語の舞台はインドを離れて、その西側の、とある湖へと移ります。

 興味深いことには、ゾロアスター教の伝説によると、ザラスシュトラ(ゾロアスター)の末裔が、救世主として 3 人生まれるというのです。

 というのは現在ではハームーン湖と呼ばれる湖(伝承ではカンス海)に、ザラスシュトラの精子がおそらくは〝冷凍保存〟されているからであって、世界が終末期を迎えると、その始まりから 1000 年ごとに、由緒ある 15 才の少女が、その湖の水を飲んでサオシュヤントと呼ばれる救世主をそれぞれ受胎するからなのでした。


 ⛞ そして、そのザラスシュトラの精子をフラワシ(守護霊・守護天使)がその間ずっと守り続けているということが、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の「フラワルディーン・ヤシュト」に記述されているのでした。


『ゾロアスター教』神々への讃歌

〔岡田明憲/著 1982年10月25日初刷 1998年04月30日四刷新装版三刷 平河出版社/発行〕

「フラワルディーン・ヤシュト」 第二十節

 (pp.284-285)

62

義なる者たちの、善き、強き、聖なるフラワシを我らは祭る。

彼らは、彼の義なるスピターマ・ザラスシュトラの精子を見守る〔註150〕

九万九千九百九十九〔柱のフラワシ〕は。


註150 中世ペルシア語書『ブンダヒシュン』によれば、ザラスシュトラが彼の第三夫人たるフウォーウィーに近づいた際に大地に落ちた精子を、ナルヨー・サンハが受け、アナーヒターがカンス海へ運んだとされる。そして、このカンス海で水浴したる乙女によってサオシュヤントが出生するのである。



 ⛞ いっぽう、漢訳された仏教経典では「天女」などとされている、サンスクリット語のアプサラス (apsaras) の、もともとの意味は「天上の水精女」であることが辞書に書かれています。

 そして、『マハーバーラタ』の物語において、湖の水を飲み、一角仙人を生んだ、ウルヴァシー (Urvaśī) は、そのアプサラスたちの中でも特別扱いされていて、リグ・ヴェーダにも登場して半神族のガンダルヴァらと人間界をつなぐ役目をする、代表的な存在でした。


  そして「フラワルディーン・ヤシュト (§62) 」で、救世主の誕生までを見守るフラワシ (fravaši) は、


 フラワシを祭るハマスパスマエーダヤ(万霊節)は、ゾロアスター教の七大祭の一つであった。一年の最後に祝われるこの祭りの夜、フラワシは生ける人びとのうちに帰ってくるのである。

〔ちくま学芸文庫『宗祖ゾロアスター』前田耕作/著 2003年07月09日 筑摩書房/発行 p.216〕


と、位置づけられ、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン urvan(ソグド語 rw’n, ’rw’n )は《盂蘭盆》の原語であったとも考えられている、という次第であることが、そのほかのさまざまな文献からみえてきたのでした。


―― でもって、和訳された原典等を参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


アヴェスターの救世主サオシュヤント

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/avesta.html