2018年11月8日木曜日

喪山とカナヤマビコとカガヤケリ

 前に、谷川健一氏の『青銅の神の足跡』第一章を参照したとき「伊福部氏は雷神として祀られる」(p. 63) で、アヂスキタカヒコネの斫り倒した喪屋が美濃国の喪山になった説話に関連して紹介されていたのだけれど、岐阜県不破郡垂井町には「喪山」の地名が現存する。

岐阜県不破郡 垂井町 喪山 標高:54m

  • 南に 美濃国一之宮 南宮大社 (不破郡 垂井町宮代)
  • 西に 美濃国二之宮 伊富岐神社 (不破郡 垂井町伊吹)
  • 東に 金山彦神社 (大垣市 牧野町)

が、配置されている。

南宮大社は、式内社の仲山金山彦神社で、カナヤマビコを祭神とする。
伊富岐神社は、伊吹にあり、また伊福部氏とも関係があるといわれる。

 ○ 風土記逸文として、日本古典文学大系 2『風土記』に収録されているカグツチの伝によれば、カナヤマビコ鎮座の地は同じ岐阜県の垂井町となっている。

日本古典文学大系 2『風土記』

風土記 逸文
「美濃國」
 金山彥神(參考)
[原文] 風土記云 伊弉竝尊 生火神軻遇槌之時 悶熱懊惱 因爲吐 此化神 曰金山彥神是也 一宮也(神名帳頭註)
(頭注)
金山彥神
今井似閑採択。
伊弉竝尊
以下は神代紀四神出生の章の第四の一書と殆ど同文。
悶熱懊惱
熱さになやみ苦しむ。

嘔吐。へど。
金山彥神
山の鉱を神格化した神。嘔吐物が鉱と形状の類似するによる説話。
一宮
美濃国の一宮の神社。岐阜県不破郡垂井町宮代の式内社南宮神社(仲山金山彦神社)。
(校訂注)
一宮也
神名帳頭註の筆者(卜部兼倶)の附記であろう。新考はこの一句を含めて後代の風土記とする。

[訓み下し文] 風土記に云はく、伊弉竝尊、火の神軻遇槌を生みたまふ時、悶熱ひ懊惱みますに因りて吐しましき。此れ、神と化りて金山彥の神と曰ふ、是なり。一の宮なり。

(ふりがな文) ふどきにいはく、いざなみのみこと、ひのかみかぐつちをうみたまふとき、あつかひなやみますによりてたぐりしましき。これ、かみとなりてかなやまひこのかみといふ、これなり。いちのみやなり。
〔日本古典文学大系 2『風土記』(pp. 460-461) 〕

 ○ この逸文が記録された原典は、群書類従に「延喜式神名帳頭註」として収録されている。上の記載と同一文ではあれど、該当個所を参照しておこう。

『群書類従・第二輯』 神祇部

卷第二十三「延喜式神名帳頭註」卜部兼倶

美濃不破郡。
金山彥。
 風土記云。伊弉竝尊生火神軻遇槌之時。悶熱懊惱因爲吐。此化神曰 金山彥神是也。一宮也。
〔『群書類従・第二輯』 神祇部 (p. 255) 〕

 ○ この逸文は栗田博士の「古風土記逸文考証巻三」に、「神名帳頭注美乃不波郡金山彥神條」として引用されたあと、その考察に次のような記載がある。

『古風土記逸文考證』

古風土記逸文考證卷三
○ 美濃
 金山彥神
…… 古事記傳〔五の四十四〕 に、火之夜藝速男神、夜は迦の誤ならむか、…… 火之炫毘古神、炫は迦賀と訓べし、靈異記に、炫を加々也計利[カヽヤケリ]と訓り、火之迦具土神、迦具は赫[カヾヤク]と云意、其[ソ]は迦賀とも、迦具とも、迦宜[ゲ]とも活きて同言なり、さて此神を書紀一書に、火產靈ともあり、神名帳に紀伊國名草郡香都知神社、伊豆國田方郡火牟須比命神社あり、…………
〔栗田寬/著『古風土記逸文考證』卷三 (pp. 104-105) 〕

※ 『古風土記逸文考証』は国立国会図書館デジタルコレクションで全文が閲覧できる。
初版では上下巻本が一般公開されている
( URL: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993515/166 )
昭和に発行された一巻本〔昭和 11 年、帝国教育会出版部刊〕では 316 ページからが該当する。
( URL: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219675/167 )


〈火之炫毘古神〉の「炫」と

〝加々也計利〟の訓釈のこと


 ○ 本居宣長の『古事記伝』に記されたところは、おおよそ次の通りである。

『本居宣長全集 第九卷』

古事記傳五之卷
○ 火之夜藝速男 [ヒノヤギハヤヲ] ノ神、夜ノ字は迦 [カ] の誤リならむか、亦ノ名の炫迦具 [カガカグ] などと、同じ類なるべければなり、…………
○ 火之炫毘古 [ヒノカガビコ] ノ神、炫は迦賀 [カガ] と訓べし、靈異記に、炫を加々也計利 [カガヤケリ] と訓り、字書にも燿光也とも、火光也とも、明也とも注せり、【然るを舊事紀に、火々燒彥 [ホホヤケビコ] とあるに依て、延佳が、燒ノ字に改めつるは非なり、奮事紀は信 [タノミ] がたし、此記諸ノ本みな炫と作 [ア] り、又師は炫を用ひて、本能弖理 [ホノテリ] と訓れき、此レもいかゞ、】
〔『本居宣長全集 第九卷』(p. 217) 〕

 ○ 日本古典文学大系の『日本靈異記』で、該当する記述を確認してみた。

日本古典文学大系 70『日本靈異記』

「日本靈異記 上卷」

 捉電緣 第一
(雷 [いかづち] を捉 [とら] ふる緣 第一)
 (pp. 64-65)
[原文] 時電放光明炫
[訓み下し文] 時に雷[いかづち]光を放ち明[て]り炫[カカヤ]ケリ。
(頭注 二二) 「炫」は、名義抄カカヤク。
 (p. 66)
[訓釈 原文] 〔可〻ヤ介利(カヽヤケリ)〕

 信敬三寶得現報緣 第五
(三寶を信敬 [しんぎやう] し、現報を得る緣 第五)
 (pp. 84-85)
[原文] 卽到炫面
[訓み下し文] 卽ち到れば面に炫[カカヤ]ク。
(頭注 一八) 顔に照り映えた。→六五頁注二二「炫」。
 (p. 86)
[訓釈 原文] 〔加〻也久〕
〔日本古典文学大系 70『日本靈異記』より〕

 ○ 霊異記写本における「炫」訓釈の記事を、校本でさらに確認する。

『校本日本靈異記』

日本國現報善惡靈異記卷上

 捉雷緣第一 (訓釈)
 (pp. 8-9)
炫〔カヽヤケリ〕

 興福寺本訓釋
炬〔可々ヤ介利〕
(脚註)
○ 炬 ―― 本文炫。

 信敬三寶得現報緣第五 (訓釈)
 (p. 21)
 興福寺本訓釋
炫〔加々也久〕
〔武田祐吉/校訂『校本日本靈異記』より〕

◎ 確認できた限りでは、日本霊異記における「炫」の訓釈は〝可々ヤ介利〟ないしは〝加々也久〟であった。
―― このとき、〝可々〟と〝加々〟はどちらの文字を用いても片仮名にすれば同じ〝カヽ(カカ)〟でありかつ意味の違いは認められないと理解される。

 ○ 参考として、霊異記訓釈の研究から抜粋しておこう。

『訓点語と訓点資料』 第三十七輯

「日本霊異記諸本訓釈索引」 小泉道

注文索引
213 加〻也久・カゝヤケリ
214 可〻ヤ介利
〔『訓点語と訓点資料』 第三十七輯「注文索引」(p. 10) 〕

※ 『訓点語と訓点資料』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能となっているので、詳しくは、文献を直接参照されたい。

『訓点語と訓点資料』 第三十七輯 「日本霊異記諸本訓釈索引」注文索引 へのリンク
( URL: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10481814?tocOpened=1 )
PDF : 「日本霊異記諸本訓釈索引」注文索引 (p. 10)
( URL: http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10481814_po_ART0004667515.pdf?contentNo=1&alternativeNo= )


The End of Takechan

カグツチと食物の神 

―― さて Google サイト では、以上の記録を含めた、かかやく〈火の神カグツチ〉から展開する物語となる。


Google サイト で、本日、もう少し詳しい内容のものを公開しました。

火産霊 / 神皇産霊
https://sites.google.com/view/theendoftakechan/worochi/homusuhi

バックアップ・ページでは、パソコン用に見た目のわかりやすいレイアウトを工夫しています。

火産霊 / 神皇産霊 バックアップ・ページ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/tsurugi/homusuhi.html

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