2015年2月14日土曜日

「失敗学」と「創造学」

問題解決のレベル その1


 まだ日本が「昭和」だったころ、半村良の『妖星伝』に、その問題解決のヒントが「黄金城」への夢の中に隠されていました。
 その一部をご紹介したいと思います。


『妖星伝』


第五部=天道の巻
半村良[はんむら・りょう]/著
昭和54年01月24日 講談社/発行

「逆襲黄金城」 二
 (P. 8)
 夢助はそのとき、妙な焦燥感の伴なう夢を見ていた。
 どこかにとじこめられているようなのだ。目の前に五分角ほどの桟が並んだ格子の扉があり、その格子の隙間から外の道を見ているのだった。格子の扉は片側が一間ほどの大きで、それが対になった両開きの扉であった。
 門かも知れない。
 夢助はそう思った。格子に触れると冷たい。鉄格子であった。桟を握ってためして見るが、押せども引けどもびくともしなかった。
 これは出られぬ。
 夢助はくやしく思いながら両側を見ると、その門扉は両側の巨大な石柱にとりつけられていて、石柱の先は左右とも高い石の塀がつらなっている。
 地面には短い草が生え、それがびしょびしょに濡れている。空を仰げば陰鬱な雲が重苦しくたれこめている。風はまったくない。
「出してくれ……」
 その重苦しさが焦りを掻きたて、夢助はつい大声で叫んだ。両手に力をこめて鉄格子をゆさぶるが、頑丈な鉄格子は力タリともしない。
「出してくれえ……」
 おのれの夢の観察者である夢助は、その様子を村のはずれに立って眺めていた。白樺の林が夢助の背後にあり、少し風が吹いているようだった。
 夢助は鉄格子の門扉の内側で外に出たがっている自分を、もどかしく眺めていた。その門扉と林を背にした夢助の間には、幅の広い道が左右に坦々と続いていて、その両側には短い草が生えているのだ。
 草は立っている夢助の足もとにもある。つまり、夢助は門扉の真正面の道をはさんだ反対側に立っており、道にそって石の塀と平行に林がつらなっているのである。
「向こうへ行け。左だ、いや、右だ」
 夢助は一度言い間違え、いっそうもどかしくなって門扉の中の自分に、右手の指で左のほうを示して教えている。
 向かって右側の石の塀は、えんえんと道ぞいにはてしなく続いているが、左側の塀は門扉の中の夢助から、ほんの四、五間のところで欠け崩れ、そこから先、門の内と外を区切るものは何ひとつないのだ。


 ☆以上、問題を俯瞰する立場を身に着けることの重要性をつくづく思い知らされた次第であります。



◎ さて、より高いレベルでの問題解決法を、「上位概念」に登る、という表現で記述した文献として、『創造学のすすめ』という単行本がありますが、まずは、その数年前に刊行された『失敗学のすすめ』という本の内容から見ていきたいと思います。


【失敗学サイト参照リンク】


『失敗学のすすめ』 書籍紹介 (CiNii)


失敗知識データベース


【失敗学と創造学】


『失敗学のすすめ』

畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2000年11月20日 講談社/発行

 (P. 216)
 そうなると、実際の異常の発生にも、どうしても反応がにぶくなりがちです。同時に、日ごろから「考えないこと」に慣らされているため、本来、異常を起こさないようにするためのTQCが逆に、発生した異常を前にして、担当者を思考停止状態に陥れる危険性があることはすでに述べたとおりです。

 (P. 220)
 TQCの問題で見られるように、現実に読者のあなたがいる組織でもいろいろ失敗を誘発し、創造力をそぐ仕組みや人間が存在しているかもしれません。
 俗に「せんみつ」などといわれるように、新しいことに挑戦するときには、千のものを手がければ、そのうちの三つ程度がかろうじてうまくいくといわれます。~~。

 (P. 221)
 ダメ上司の典型例は、「そんなことをやってもうまくいかない」「自分も過去にやったけど、ムダだったからやめておいた方がいい」などと軽薄な失敗談を語って部下のやる気をそいでいる人です。実際は、考えられるあらゆる問題を想定して徹底的に試したことなどなく、適当にちょっとかじった程度の体験談に基づいて話していることがほとんどですから、この種の失敗体験談のほとんどは信用するに値しません。
  いわゆる偽ベテランに多いダメ上司が軽薄な失敗体験談を話す背景には、多くの場合、それまで慣れ親しんだ方法を変えられるのが面倒だという身勝手な感情があります。とくに老齢化の著しい組織でよく見られるパターンで、その中で真剣に改革を提案していこうとする人は、ダメ上司の説得に時間を浪費し、心を疲弊させられることになりかねないので本当に困った存在です。


『創造学のすすめ』

畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2003年12月20日 講談社/発行
 (P. 53)
 共通概念で括ることの大きな意義のひとつは、括ることで個別の要素の概念が「上位概念」の登ることです。~~。
 上位概念に登ることの意義は、実際に創造作業を進める際、最初に集めた要素が自分が求めている機能に必要なものかどうかをまず検討できることです。これが「使う概念(要素)を取捨選択する」ということであり、そして「必要な下位概念を探し出す」ということです。
 (P. 56)
 ~~使おうとする概念(要素)がそのままではうまくいかないとわかった場合は、一度上位概念に登って選択し直すという作業をすると創造の幅は確実に広がります。


『畑村式「わかる」技術』

講談社現代新書 1809
畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2005年10月20日 講談社/発行
(P. 90)
 現代社会で本当に必要とされていることは、与えられた課題を解決する「課題解決」ではなく、事象を観察して何が問題なのかを決める「課題設定」です。課題解決と課題設定のちがいは、「HOW」と「WHAT」のちがいと言ってもいいでしょう。


『図解雑学 失敗学』

畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2006年08月10日 ナツメ社/発行
 (P. 118)
 ~~。課題は問題意識という言葉でも置き換えられます。
 (P. 119)
  ◇課題設定とはどんなものか◇
 ある事柄を見たとき、それのどこに問題があるかを発見するのは、ちょっと頭のいい人なら誰でもできる。これは「問題発見能力」というが、それらの問題のなかから自分がやるべきことを課題として選定するのが「課題設定能力」だ。身につけるべきは、問題発見より課題設定の能力である。




☆ しかしながら、畑村洋太郎氏の「失敗学」等を紹介した文献の中にも、「問題発見能力」の大切さを主張の中心に置いているように疑えるものがあるのは、私の非力さゆえの読み間違いなのでしょう。

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