―― 今回は、『旧約聖書』の〈サタン〉について、参考にした文献資料の引用を、ながながと、おこなってから、本題をはじめます。
“THE ORIGIN OF SATAN”
by Elaine Pagels
Copyright © 1995 by Elaine Pagels.
『悪魔の起源』
〔エレーヌ・ペイゲルス/著 松田和也/訳 2000年02月28日第刷 青土社/発行〕
(p.75)
西欧キリスト教国に於いては、サタンは「悪の帝国」―― すなわち神と人類の双方に戦いを仕掛ける悪意ある霊の軍団 ―― の指導者ということになっているが、ヘブライ聖書に於いても、また今日のユダヤ教の主流派に於いても、サタンがそのような存在として描かれることはない(7)。ヘブライ聖書に最初に登場した時のサタンは、必ずしも悪ではないし、神に敵対しているなどということも全くない。それどころか、『民数記』や『ヨブ記』に於いては、彼は神の従順な従僕のひとりなのである――彼は神の使者、すなわち天使[エンジェル]なのだ。この angel という語は、ヘブライ語の「使者 (mal’āk)」をギリシア語 (angelos) に翻訳したものである。ヘブライ語では、天使たちはしばしば「神の息子たち」(benē’elōhīm) と呼ばれ、巨大な軍団、もしくは宮廷として描かれる。
(p.76)
物語の中にサタンを登場させることによって、予期せぬ障害や運命の逆転をうまく説明することができた。ヘブライの物語作者たちは、しばしば禍いの原因を人間の罪に帰す。だが中には、これを説明するためにサタンという超自然的な存在を登場させる場合もある。このサタンは、神自身の命令もしくは許可によって、人間の計画や希望を妨害したり、これと敵対したりする。とは言うものの、この使者自身は必ずしも悪意を持っているわけではない。死の天使と同様、ある特定の使命を果たさせるために、これを送り込むのは神なのである。ただ、その使命が人間にとっては歓迎されざるものであるというだけなのだ。学識深い研究家のニール・フォーサイスは、サタンについてこう述べている。「もしも道が悪であれば、そこにある障害物は善である(9)」。そこでサタンが主から使わされたのは、更なる禍いを防ぐためであったということもあるかもしれない。例えば『民数記』にあるバラムの物語は、神が行くなと命じたところに行こうとした男の物語である。バラムは驢馬に鞍をつけて出発するが、「彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。主の御使いは彼を妨げる者となって、道に立ちふさがった」。この「彼を妨げる者」が原語では le-śāṭān-lō なのである。すなわちここでの「サタン」とは、「妨げる者」の意味なのだ。この超自然的な使者の姿はバラムには見えないのだが、彼の驢馬はこの使者の姿を認め、立ち往生してしまう。
(p.78)
『ヨブ記』に於いてもまた、サタンは超自然的な使者、神の宮廷の一員として描かれている(10)。だが、バラムのサタンが彼を禍いから守ったのに対して、ヨブのサタンはもう少し敵対的な役割を果たす。ここでのサタンは、神がヨブに対して禍いをもたらすように煽動する。そして神は自らその煽動に乗るのである(第二章三節)。物語はまず、サタンが天使すなわち「神の息子」(ben ’elōhīm) として登場するところから始まる。この言葉は、ヘブライ語のイディオムでは、しばしば「聖なる者のひとり」を意味する。ここで天使サタンは、「主の前に神の使いたちが集まる」とされていた日に、他の天使たちと共にやってくる。そこで主が、おまえはどこから来た、と尋ねると、サタンは答えて言う、「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」。ここで作者は、ヘブライ語で「巡回する」を意味する shût という語と、サタンという語の音の類似を用いて言葉遊びを行ないながら、天の宮廷に於けるサタンの特別の役職を示している。すなわちそれは一種の巡回諜報部員であり、当時のユダヤ人の多くは、そうした役職の者を知り――そして嫌悪していた。当時のペルシアの王は、秘密警察と諜報局のシステムを高度に発達させていたからである。「王の目」「王の耳」として知られるこれら諜報部員は、帝国内を巡回しながら、人々の間に国王への謀反の徴候がないかどうか、監視していたのである(11)。
原註
7 多くの学者が、この事を指摘している。近年の研究の中では、Neil Forsyth, The Old Enemy: Satan and the Combat Myth (Prinseton: Princeton University Press, 1987), 107 に「キリスト教徒には ……『旧約聖書』として知られている文書群に於いては、この言葉[サタン]は … 敵の名前として登場することはない。…… むしろ、『旧約聖書』にサタンが登場するときは、彼は天の宮廷の一員であり、ただ特殊な任務を持っているというだけである」。〔以下略〕
9 Forsyth, The Old Enemy, 113.
10 Day, An Adversary, 69‐106 に於ける論考を参照。
11 Forsyth, The Old Enemy, 114.
Neil Forsyth
“THE OLD ENEMY”
Satan & the Combat Myth
© 1987 by Princeton University Press
『古代悪魔学』
サタンと闘争神話
〔ニール・フォーサイス/著 野呂有子/監訳 倉恒澄子 小山薫 田中洋子 圓月勝博 /訳 2001年05月30日 財団法人 法政大学出版局/発行〕
第五章 旧約聖書のサタン
(p.147)
ヘブルの宗教が「諸民族への光」としての新しい特質を持つに至ったのは、預言者である第二イザヤによるところが大きい。
(p.149)
とにかく第二イザヤは、神は闇も光も造る、というひたむきな信仰を言明している。〔中略〕 ことに、ヤハウェは悪を生み出すのである。
聖書の執筆者で、一神論の見解をこれほど徹底して支持しているのは、他にはヨブ記著者のみである。
(pp.150-151)
残念なことに、ヨブ記がいつ、どこで書かれたかについて、専門家はいかなる合意にも達していない。
〔中略〕
ヨブ記の持つ哲学的深みにも、第二イザヤの持つ情熱のこもった明晰さにも、ヘブルの一神論はほとんど到達しなかった。〔中略〕 やがて、それ自身確かに悪である闇が独立した存在となり、それを造ったのは神であると第二イザヤが断言している、神そのものに敵対することになるだろう。
われわれが知るとおり、ヨブ記のテクストは民話の枠組みで始まっているが、そこでの「サタン」が後に発展する根源を、われわれはヨブ記にも見いだすであろう。ヨブ記の大部分は完全に地上が舞台となっており、われわれはヨブ自身と友人たち、妻の視点からヨブの災いを見ることを許されるのだが、この書は短いプロローグの後、天の法廷での場面と、神とサタンとの賭けで始まっている。ここで「サタン」という単語は定冠詞を伴っているので、固有名詞というよりも称号であり、「司法長官」か「検察官」にほぼ相当するものである。ウガリト語のテクストによく出てきて、神の息子たちを表わし、ヘブル伝承ではおおむね天の法廷のメンバーであると考えられる「ベネ・エロヒーム」の一人として、「サタン」は描かれている。
(p.154)
ヘブル語の śṭn は母音がついて śāṭān となり、英語の opponent(敵対者)に近い意味を表わすが、その根本にある意味は「道をふさぐ」、「じゃまをする」ということである。例えば、バラムのロバについての奇妙な挿話において、ヤハウェの天使であるマラク・ヤハウェは、 le‑śāṭān‑lō ――「かれに対する障害物として」――道に立って、行く手をふさぐ。モアブへのバラムの旅は〔神に〕認められなかったので、この天使は神の意志を遂行しているにすぎない。そして思慮あるロバは、乗り手がこの障害物に気づかず、何度も促したにもかかわらず、障害物が目に入るだけの知覚をもっている。七〇人訳聖書[セプトゥアギンタ](ギリシア語訳)はここで endiaballein という語を用いているが、その根本にある意味はやはり「道をふさぐように何か置くこと」である。diabolos というのは、diaballein という動詞の表わす行為をなす人物である。śāṭān および diabolos という単語は、同様に不快な意味に進んでいったけれど、バラムのロバの挿話は、そのどちらの単語にも必要悪など付随しない、ということを示している。もし道が悪ければ、障害物はあってよいのだ。
(pp.156-157)
ここでのヘブル語の糸口は「行き巡る」をあらわす語 šûṭ である。ヘブル語もアラビア語も、英語よりずっと容易に語呂合わせの可能な言語だが、それは書きことばの古い形態に母音がなかったためである。よってわれわれは、こんなデリダ( J。一九三〇年-、フランスの哲学者)風のことば遊びに遭遇するたびに、必ずしも何か深遠な意味を想定する必要はない。しかし少なくともこの場合、ヨブ記の著者は「敵対者」の一般的な概念と響き合うように、より限定された概念を持ち込んだのである。ヘロドトスが述べているが、ペルシアの勢力は、「王の眼」とか「王の耳」として知られる者もいた巧妙な諜報部員制度に大いに依存していたということである。この制度は Savak (イランの秘密警察組織、一九五七-七九年)や KGB(旧ソ連国家保安委員会)にも似た、一種の秘密警察機構であり、その目的は地方総督の監視を続けること、いかなる暴動の動きもかぎつけて報告することであった。クセノフォン(前四三〇頃-三五四年頃、ギリシアの軍人、著述家)は「王には多くの耳と多くの眼がある」ということわざを引用している。だからこのヘブル語の語呂合わせは、偉大なる王の臣下を特に悩ませたに違いないある制度に言及しているのであって、少なくともヨブ記のサタンに関する部分はペルシア時代に書かれた、ということを暗示するのかもしれない。この šûṭ という単語に、これと類似した動詞「歩き回る」(hiṯhallēḵ) がつけ加えられているが、この語は、危害を加えようとして歩き回る邪眼や、悪霊に適用されるアッカド語の単語と、語源をともにしている。
―― 以上、ながながと、参考資料の引用をしましたけれど。ここから、本題となります。
⛞ さて、ニール・フォーサイス/著『古代悪魔学』 (p.156) の記述を、原注を含めてあらためて引用しますと、
ヘロドトスが述べているが、ペルシアの勢力は、「王の眼」とか「王の耳」として知られる者もいた巧妙な諜報部員制度に大いに依存していたということである。(29)
(29) How and Wells 1928 : vol.1, 108. この考え方を最初に展開したのは Tur‐Sinai 1957 である。
と、書かれていて、その本文の原文と原著参考文献は、次のとおりです。
Herodotus tells us that the power of Persia depended heavily on an elaborate system of intelligence agents, some of whom were known as “The King's Eye” or “The King's Ear.” 29
How and Wells 1928
HOW, W. W., and WELLS, J. 1928. A Commentary on Herodotus. 2 vols. Oxford: Clarendon.
Tur‐Sinai 1957
TUR‐SINAI, N. H. (Harry Torczyner). 1957. The Book of Job: A New Commentary. Jerusalem: Kiryath Sepher.
―― この点について、若干の考察を加えてみますと、
〝ペルシアの勢力は、「王の眼」とか「王の耳」として知られる者もいた巧妙な諜報部員制度に大いに依存していた〟ということを〝ヘロドトスが述べている〟という情報は、
HOW, W. W., and WELLS, J. 1928. A Commentary on Herodotus. 2 vols. Oxford: Clarendon.
に記されている内容を参考にしたものである、と読めます。
その原著参考文献 “HOW, W. W., and WELLS, J. 1928. A Commentary on Herodotus. 2 vols. Oxford: Clarendon.” の記述については、1912 年の版で、原文の内容確認ができました。
“A COMMENTARY ON HERODOTUS”
WITH INTRODUCTION AND APPENDIXES
by W. W. HOW and J. WELLS
IN TWO VOLUMES
VOLUME I (BOOKS I-IV)
OXFORD AT THE CLARENDON PRESS 1912
BOOK I
(p.108)
114 2
ὀφθαλμόν. The ‘eyes and ears’ of the Great King (cf. Xen. Cyr. viii. 2. 10) were thought by the Greeks to be a sort of spy system (cf. 100. 2), but this is an exaggeration. The ‘eye of the king’, however, was a real officer, in constant attendance on him (cf. Aesch. Pers. 980, and ‘Pseudartabas’ in Arist. Ach. 92).
⛞ この引用文中の、(cf. Xen. Cyr. viii. 2. 10) とは、‘Xen = Xenophon’, ‘Cyr = Cyropaedia’ で、つまり、
“Cyropaedia of Xenophon” 邦題『キュロスの教育』第 8 巻・第 2 章・第 10 節を参照
という、意味になります。
⛞ またギリシャ語の、‘ὀφθαλμόν’ という語句について、辞書には、
ὀφθαλμός ①眼、視力、視界、
ὀ. βασιλέως 大王の眼=ペルシャ王の目付役
と、記されています。
◎ それでは、今回最後の引用としてここで、ヘロドトスの『歴史』および、クセノフォン (Xenophōn) の著作『キュロスの教育』の該当個所と、その第 11 節・第 12 節を続けて参照しておきましょう。
ワイド版 岩波文庫 294
Herodotus HISTORIAE
『ヘロドトス 歴史』(上)〔全 3 冊〕
〔松平千秋[まつだいら・ちあき]/訳 2008年02月15日 岩波書店/発行〕
巻一
(p.95)
100 彼〔デイオケス〕はこのような諸制規を定め、独裁権をふるって自己の地位を強化したのち、治安(正義)を守るのに極めて峻厳な態度をもって臨んだ。訴訟は文書にして彼の許へ届けると、それに裁定を下して返すのである。訴訟については右のようにしたが、その他の事柄については次のように処理した。不法な行為をしたものがあるときくと、その者を連れてこさせ、そのときどきの罪に応じて処罰した。そして全領にわたって監視探知のための密偵をめぐらしていた。
101 デイオケスはメディア民族のみを統一し、これを統治したのであった。メディア民族の中には、ブサイ、パレタケノイ、ストルカテス、アリザントイ、ブディオイ、マゴイなどの部族がある。メディアにはこれだけの部族があるのであるが、さて ――
(pp.105-106)
114 この子供が十歳になったとき、この子供の身に次のようなことが起って、その素姓が明るみにでることになった。ある日その子供は村の路上で ―― 牛飼たちの牛舎もその村にあったわけだが ―― 同じ年頃の子供たちと遊んでいた。そして遊びの間に子供たちは、牛飼の子ということになっていたこの子供を、自分たちの王様にえらんだのである。王様にえらばれたその子供は、子供たちの分担をきめ、家を建てるもの、王の護衛をするもの、また一人はいわば「王の目」となるもの、また王にいろいろな報告をする役のもの一人、というふうに子供ひとりひとりに役目を与えた。さて子供の中に、メディアでは名士であったアルテムバレスという者の子供も一緒に遊んでいたが、キュロスから言い付かったとおりしなかったので、キュロスはほかの子供たちにその子供を捕えさせ、捕えてくるとその子を鞭で打ってさんざんな目に遭わせた。やがてその子供は放してもらうと、自分のようなものが受けるはずでない仕打を受けたという気持から一層腹が立ち、町へ帰りキュロスからされたことごとを父に訴えたのである。もちろんキュロスはその頃はまだキュロスという名ではなかったから、アルテムバレスの子も、キュロスとはいわず、アステュアゲス王の牛飼の子だといったのである。アルテムバレスは怒ってその子供を連れてすぐさまアステュアゲスの許へゆき、怪しからぬ目に遭いました、といい、
「王よ、私どもはお抱えの奴隷、牛飼奴の伜からかような狼藉に遭いました。」
と子供の両肩を示した。
『キュロスの教育』
﹝クセノポン (Xenophōn) /著 松本仁助[まつもと・にすけ]/訳 2004年02月15日 京都大学学術出版会/発行〕
第 8 巻 「第 2 章」
(p.354)
10 いわゆる王の目、王の耳と呼ばれる者たちを彼は贈り物や名誉を与える以外の方法で獲得しなかったのを、われわれは知っていた。すなわち、王にとって重要なことを知ってほしいと願って知らせてくれた者たちにおおいに報いることで、王に役立つのには何を知らせたらよいのか、と多くの者に彼は聞き耳を立てさせたり、探らせたりしたのである。11 この結果、多くの目と多くの耳が王のものである、と見なされた。王は一人の目を選ぶべきだという考えの者がいるなら、その者は正しい考えをしていない。一人ならわずかのことしか見えないし、聞けないからである。また、一人だけにそのようなことが命じられると、他の者はいわば注意を払わなくてよい、と命令されているようなものである。そうでなく、何か注意をする価値のあることを聞くか見るかした者すべての言うことに王は耳を傾けるのである。12 このようにしているからこそ、王は多くの耳と多くの目を持っている、と信じられている。また、人々はどこにいても王が聞いているかのように王に不都合なことを言ったり、王が側にいるかのように王に不都合なことをするのを恐れたのである。したがって、キュロスの悪口を人に言うようなことを誰もあえてしないばかりか、常に側にいる者がすべて王の目であり、耳であるように各人は振る舞った。人々が彼にこのような態度をとったのには、彼が小さな功績にも大きく報いる気持を持っていたことが、もっとも大きな原因である、とわたしは見ている。
⛞ この第 11 節・第 12 節に「多くの目と多くの耳が王のものである」あるいは「王は多くの耳と多くの目を持っている」という、記述もあるわけです。
✥ というわけで、以上の参考文献の内容に、若干の考察を加えて、今回の最後に判明したのは、〝ヘロドトスが述べているが、ペルシアの勢力は、「王の眼」とか「王の耳」として知られる者もいた巧妙な諜報部員制度に大いに依存していた〟という、ニール・フォーサイス氏の記述は、何らかの誤解を招いているようにも思われるということなのです。
―― その他の資料を参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。
ヨブ記のサタンとキュロス王の目と耳
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/iob.html